塾長鍼灸師のあたまの中。

ここだけの話。

幸福論。

僕は長らく、幸せについて考えてきた。
幸せとは何なのか。どんな状態なのか。
人は、どうやって幸せになるのか。
どうやって幸せから遠ざかるのか。
 
なぜ考えてきたかと言うと、それをちゃんと把握しておけたら、
何より自分や家族、身近な人達を幸せにできるから。
誰か困った人がいた時に、手を差し延べられるから。
その行為こそが、僕の命が喜ぶことなのだ。
 
脳内ホルモンのバランスとして捉えることもできる。
あらゆる陰陽のバランスとして捉えることもできる。
5段階欲求説に従った幸福論もあり得る。
これらを知ると、自分の状態を客観的に見れて、次にどうすればいいかわかってくる。
 
成功と幸福は、別の軸として存在する。
座標として捉えてもわかりやすい。
成功すると、影響力が増す。しかしそれがそのまま幸せではない。
 
どういうことか。
幸せとは、完全に主観的なものだ。つまり、感覚だ。
幸せを感じること。幸せを味わうこと。
どんな状態であっても、幸せにはなれる。
しかし、幸せになりやすくなるためには、少しトレーニングが必要になる。
それは、感覚のトレーニングである。
 
味覚。嗅覚。聴覚。視覚。触覚。内臓感覚。無意識覚(=直観)。
 
これらを鍛えると、なんでもない当たり前のことが、幸せになる。
 
幸せになりやすくなる、別の方法もある。
分かち合うこと。分かり合うこと。
つまり、他者が幸せそうな姿を見ることで、同じ状況にいる自分の幸せを実感することができる、という仕組みだ。
 
その意味で、成功して影響力を増すことは、幸せと無関係ではない。
なぜなら、分かち合えるものが増えるから。
より多くの人に影響を与え、より多くの人を幸せにする可能性が増え、その分自分が感じる幸せの量も増えるから。
しかし、幸せが成功に依存するわけでもないことは、忘れてはならない。
 
幸せになることは、そう難しくない。
しかし、幸せであり続けることは、非常に難しい。
 
世の中には、他者の幸せそうな姿を見て、別の感情を抱く人たちがいるが、
それも含めて「結局は現象があって、それを自分がどう感じるか」だと捉えるなら、
他者からの評価に依存せず、主体的に生きることは、幸せに繋がる。
「主体的に生きる」とは、自ら意志決定し、行動し、そこに責任を持って生きること。
主体性を育てるには、誰にも依存せず、自らの意志で選択する経験が必要だ。
それは、どんな簡単なことでもいい。
今日のお昼に何を食べるか。
今、どんな音楽を聴くか。
自分が何にお金を使うか。
何に時間を使うか。
こんなことを日常的に自分で選んでいくことが、主体性を育てる。
主体性があるからこそ、自分が選んだ人生の選択に満足しやすくなり、
どんな現象があっても折れにくい、しなやかな心を持ち、
他者からの評価を深刻には気にせず、幸せであり続けられるのではないだろうか。
 
僕は長らく、幸せについて、誰よりも大真面目に、真剣に、感じ、議論し、考えてきた。
その中で「主観・感覚を研ぎ澄ます・脳内ホルモン・バランス・欲求の種類・成功との関係・主体性」
といったキーワードに出会ってきた。
まだ朧げな部分はあるものの、誰よりもクリアに「幸せとは何か」を捉えている自信がある。
 
なんとなく、なのだが、この「幸せを探究する旅」は一旦終わりを迎えた気がする。
少し名残惜しさもある。不思議な気分だ。
しかし、その達成感がまた、僕を幸せにしてくれている。
 
この先は、どんな人生が待っているだろうか。
今は、日本の神話から始まり、戦後の教育、安心と信頼の違い、そしてテクノロジーの発展と環境問題、戦争。
この辺りから「次の日本とは?」といった、これまた大きなテーマでの探究が始まっている。
僕はどんなスケールで生きていく人間なんだろう。人類愛にでも目覚めるのだろうか。
どうあれ、僕はただ、命の喜びが指し示す方針に、付き従うだけだ。
 
2020年8月11日1時11分。夜中、みんなが寝静まったリビングにて。