ファミリーヘルスの高め方

家族・健康・教育・生き方

カウンターミーティングを始めました。

最近「カウンターミーティング」なるものを始めた。

日曜日の夜、1時間だけ、妻にアポをとって「1週間あったこと、感じたこと」をベースに話し合うのである。

うちにはカウンターキッチンがあって、そこに似合うスツールも買ったけど、

まだ活かせてなかった。でも、家の中で僕が一番気に入っている場所でもあった。

 

「名前は、カウンターミーティングにしよう。」

 

始めた理由はいくつかあるけど「大事な人や事を、当たり前のように大事にしていく」という最近のテーマと深く関わる。

 

なぜだろう。

人間は、一番大事にしたい人が身近にいるのに、なぜか一緒に過ごす時間が長いだけで「コミュニケーションは十分取れ、分かり合えているはずだ」という勘違いを、よく起こす。

しかし実際は、感じているものが違ったり、見ている未来の方向が食い違っていたりすることって、よくあると思う。

 

「一緒に生活しているだけじゃ、満たされないことがある。」

 

普段、仕事なりプロジェクトを複数回す自分として大事なのは

「週に1時間、あなたと話すためだけの時間」というアポをちゃんと入れておくことだった。

そうでもしないと、どうしても流れていってしまう。

予定も、約束も、その時大事にしたかった感情も、分かち合いたかった想いも。

 

妻がどんな一週間を送り、その時どんな気持ちだったのか。今どんな気持ちなのか。

それが把握できているだけで、僕は無駄に不安になるようなことが減った気がしている。

そういえば「今機嫌いいかな。」とか、結構思ってしまっていた。

僕にとって、妻の機嫌が良ければこの世は天国で、機嫌が悪ければ地獄になる。

 

別に尻に敷かれているつもりはないのだけど。

 

つまり、「僕が一番幸せにしたい人が、今、幸せじゃない」ってことが、

僕にとってかなり大きな不快になってしまう、ということだ。

 

その意味で「把握できていない」というのは常にどこか不安に駆られていたようだ。

例え気分が悪くても、それが把握できていたら、対策の打ちようがある。

原因を究明し、それを取り除くか、解釈を変えるか、夫婦の成長に使うか。

 

打つ手がある、というのは救われるなぁ。

 

また、カウンターミーティングは僕にとってもう一つ大きな意味があった。

「自分の気持ちやこれからの見通しを一番深く共有したかったのは、実は妻だった」

ということに、初めてみて改めて気付いた。

 

妻と僕は、どちらも子どもの教育に関わっている。

教育に対するスタンスも、根底ではかなり似通ったものだと思う。

ということで「ゆくゆくは一緒に仕事ができたらいいなぁ」とここ数年考えてきたが、

なぜかこれまでうまくいかなかった。

結果的にみると、その原因の一つは、都度変わっていく状況を逐一共有し、その度に発生するタスクを共有するというひと手間を掛けられていなかったことにあるように思えている。

 

さて。

カウンターミーティングというものを導入して、これから更に夫婦としてのバージョンアップを図っていく。

 

これからの瀬戸夫婦に、乞うご期待。