塾長鍼灸師のあたまの中。

ここだけの話。

受験が終了した。

タフな4か月だった。
僕でさえそうだったんだから、本人や親御さんたちは、もっとしんどかったろうな。

 

2017年12月~2018年3月は、僕にとってかなり記憶に残る期間だった。

 

それぞれに結果が出て、うまくいった子も、行かなかった子もいる。

 

結果として、高校受験生たちは、5人全員が、自身で納得して選んだ第一志望に合格することができた。


大学受験生たちは、1人が第一志望、1人は紆余曲折あり、滑り止めとして受けた大学に合格した。

 

塾として見た時、どう評価されるのだろう?
数学として、何か評価が下されるのだろうか。
それぞれの受験生が、n=1のデータとして?

 

それぞれにストーリーがある。これからも彼らの人生は続いていくんだ。


元々受かる実力を持って、受かった子もいる。実力をつけ、合格を自ら勝ち取った子もいる。
不合格の結果にもなお、前を向く子もいる。
それらのストーリーを、どうやって同じく評価することができよう?

 

それぞれの人生には、計り知れない価値があるように、その1ピースである「受験」そして受験勉強、真剣に進路に悩んだ時間、自分の弱さと向き合ったこと、親とぶつかったこと、上手くいってそうな友だちを羨んだこと、友だちの前では見栄を張ってしまったこと、悩みが深まって寺子屋で溢れ出た想い。
そのすべてに計り知れない価値がある。

 

ただし、それは受験に関係することだけに言えることじゃない。


何気ない1日と、受験当日の価値は、全く等しい。
毎日を「自分の人生がかかっている受験のように真剣に」生きることが出来たら、どれだけ充実した人生になるだろう?

 

僕は、子どもと向き合う時、常に考えてしまうことがある。「もしこの子が自分と同い年になった時、豊かな人生を送れているだろうか?」と。あるいは、「その為には、今どんな関わり方をするのがベストなんだろう?」ということだ。


そんな長期的な目線で受験を見た時には、受験を通して自分がどんな成長をしたかの方が大事だし、
もっと言えば、その先の進路で毎日をどう過ごすか、の方が圧倒的に大事だ。

 

僕の蒔いた種は、いつ芽吹くだろう?
どんな花になり、どんな実をつけるだろう?

 

受験に勝るくらい全力で人生を送り、合格通知を開けた時くらいの深い喜びを日々感じて生きてほしい。

 

その為に僕は、時に彼らの人生におせっかいに向き合い、
時に25才、一歩先行く先輩として、日々真剣勝負で生きる背中を見せ続けるしかないんじゃないかと思っている。

 

また今年も、寺子屋には受験生がいる。
塾にとって毎年のことでも、彼らにとっては常に初めてのことばかりだ。


生き様を見せながら、人生まるごと向き合うのは、並大抵の覚悟じゃ出来ない。

 

でも、やってしまうんだろうな。
そっちの方が、面白いからな。