塾長鍼灸師のあたまの中。

ここだけの話。

コミュニケーションについての仮説

長女である後輩とのお話メモ。


長女は、「役割」の中で生きていくことに慣れていて、求められたことに答えることは得意な「いい子」が多い。
苦手なのは、「向き合う関係性」。
自分の気持ちに素直になる経験が少ないので、自分の気持ちを見過ごしたり、言葉に出来なかったり、どう伝えたらいいのかわからないことがある。
けど、人間誰しも欲求はあって、自分の中の欲求をうまく言葉に出来なかったり、相手に気付いてもらえなかったりする状態が続くと「モヤモヤ」としてしんどくなっていく。


自分自身がその「表面化していない欲求」に気付くためのコツは、「感情」が動いた時、「ちょっと待て、なんでこう感じたんだ?」と自分に問い、自分が何を求めていたのか「もしかしたらこうかも。」と仮説をあれこれ立てて一番しっくり来るものを選ぶのがいい。
なぜ?と仮説を使って、どんどん自分を掘り下げていく癖をつける。
 自分の欲求を理解し、相手の欲求を明確にして初めて、建設的な議論ができるようになる。
自分を犠牲にせず、かつ他人を傷つけないコミュニケーションは可能である。これが、ノンバイオレントコミュニケーション(NVC)である。


余裕のある内は飲み込める感情も、お互いに余裕が無くなってきた時には避けられない問題になることが多い。だから、大学生からのカップルも、社会人2年目くらいで別れてしまうケースがよく見られるのはそのせいか?
今の段階から「深いところまで話し合える関係性」を築く努力をして、できる限り自分や相手の中にある「地雷」を処理しておいた方が、風通しのいい関係を築きやすい。


自分の欲求に気付けたとしても、なかなか面と向かって自分を表現出来ない人は、「スピード感の違うコミュニケーションツール」を複数持っておくことも大切。
例えば、交換日記は強力なツールとなることは、僕自身の経験として言える。
受けとる側も、伝える側も、直接言われるよりも冷静に考えることができる。そして、コミュニケーションの蓄積にもなっていく。
過去を振り返られるから、関係性の土台が固まっていくイメージ。


日本では、今なお「縦社会」を重んじられ、「上の言うことを聞いていれば社会はまわる」「その中でコミュニケーション力とは、上司に従順になることだ」というバブル以前の常識を前提にされていることが多い。それは、教育現場でもまだまだその原理の中で動いていることが多い気がする。
それを象徴するのが「素直」という言葉。
素直と言えば、「素直に"はい"と言う」という何も考えずにまず受け入れるというイメージがある。それは、上の者の意思に素直という、言い換えれば「従順さ」である。その中で、自分の感情に気付くことや、自分と相手の欲求を理解し、建設的なコミュニケーションを取る能力は必要性が低かった。
しかし、僕の考える真の素直さとは「なぜ?」と問い、答えの仮説を立てて自分で考えていけること。すなわち、上の者の意思に対してではなく、本質に対して素直であることだと思う。
今の時代は、先行きを見通すことが難しい変化の時代だ。その中では縦の関係で意思疏通のスピードを上げるよりも、コミュニケーション能力を駆使して創造的な関係を築くことが求められていると感じる。
そんなことを考えながらここまできて言いたかったのは、「コミュニケーションは学べるんだ」ということ。日本ではあまりに「コミュニケーション能力を意識的に高める機会」が無さすぎる。しかし、だからと言ってコミュニケーションは学べない訳ではないことは、身を持って実感している。


鍼灸師になった後でも、このような対話は必ずややっていくことになるだろう。
身体の不調を治した所で、また元のストレスフル状態に戻るのなら意味がない。「自分の生き方のどこが修正できるだろう?」という思考に本質があると感じている。
治療でフラットな心身を一時的に作り出し、その後、患者教育をすること。
教育というとこちらの立場が上のような感じがするけど、「生涯学習のサポート」と言ったところか。そんな治療家になりたいと願う。