塾長鍼灸師のあたまの中。

ここだけの話。

間と潤い。

自転車で風を受ける。鳥居が見える。

「いつもありがとうございます。」

 

都会のど真ん中。

僕は、多分母親の、あるいはばあちゃんの影響を強く受けて、神社でもお寺でもお地蔵さんでも、何か宗教的な施設が見えると、心の中で唱えてしまう。

「いつもお見守りいただき、ありがとうございます。」

 

そう唱える時間、僕の心は少しだけ緩み、少しだけ潤う。

ふっと心が軽くなり、また自転車をこぎ出す力が湧いてくる。

 

「すごいなぁ。」

素直にそう思った。

 

宗教的な施設は、建物ひしめき合う都会のど真ん中に空間的なゆとりをもたらし、ある種の偏った信仰心を持つ僕にまで、ゆとりをつくり出してくれる。

 

「神社とかお寺は、物理的、心理的な間と潤いを生み出してくれてるんだ。」

 

人生を充実させたい、と誰しもが願う。

しかし、よくよく考えてみると、充実って言葉、「パンパンに詰まっていてそれ以上なにも入らない」という事とは少し違う気がする。パンパンに詰まっていてゆとりが無いと、ギスギスしてきて、心を亡くして(忙しい)しまう気がする。

 

充実って言葉。なんとなく「ジューシーな果実」ってゆーイメージがすごくしっくり来ていて。

ジューシーさの本質って何かと言うと、実が詰まっていることに加えて、「間と潤いがある」ということがとても大切だ。

 

でも、それって版画で言うと「削り出される部分」のような、なんとなく意識しにくい部分でもある。

 

ジューシーな人生にするために必要な、

目立たない縁の下の力持ちな、

しかし情報が溢れ返ってただでさえギスギスしがちな現代人にこそ必要な、宗教施設。

 

間と潤いの大切さ。

 

注意深く、心に留めておきたいことだ。