塾長鍼灸師のあたまの中。

ここだけの話。

「ボクは坊さん。」

「ボクは坊さん。」という映画を見た。


24歳。若くして先代を亡くし、住職になった坊さんの話。経験が少ない中で起こるトラブル。あらゆる人間関係の中で、生きること、死ぬことを問い直し、坊さんとしての器を育てていく話。

 

そんな話の中で、「檀家さんとの関係」という所が特に気になった。


先代から世襲することとなった主人公。自ずと檀家はおじいさんである先代と仲が深く、その孫(=主人公)は、赤ちゃんの時檀家の腕に抱かれていたという、強い地縁関係として描かれていた。


檀家さんとお寺って、こういう関係なんやなぁと、とても新鮮に思えた。

 

そもそも、寺とはどんな機能を持つ場所なのだろうか。


http://daiki526.hatenablog.jp/entry/2017/06/08/223946


一側面に過ぎないだろうが、お寺とは、死の準備をする場所。
大切な人が死んだ場合、事務的・精神的にどのように処理していけばいいのか、受け入れていけばいいのか、というものを考える場所。

 

時代の流れの中で、地縁は薄れ、地縁と色濃く関係のある檀家制度も薄れ、寺との関係も薄くなってしまった。その結果、生きる事、死ぬ事など、人間として根源的な部分を深く感じたり、考え、対話する場所を失ってしまったように感じる。そのことによって、何となく先行き不安に思ったり、フワフワと地に足ついていない感覚を持つ若者が増えたんじゃないかなぁ、と想像している。(僕もその渦中にいる人間なので、昔をよく知っているわけではないのだけれど。)

 

例えば僕は、お葬式に出た記憶がない。また、出産の瞬間に立ち会ったこともない。
だから、人間がどうやって生まれて、どうやって死ぬのか。ということに対して、知識はあったとしても、実感がない(のではないか)という危機感がある。

 

一方、人口減少と地縁が薄れたことに伴い、お寺側も、一般市民との「新しい関係」を模索している最中である。お寺でフェスをしたり、テレビ番組があったり、今回のような映画になったり、坊さんが回答するお悩み掲示板があったり、現役の坊さんが芸人になっていたり…
色々な方面から「寺を開く運動」が活発になってきているような気がする。

 

地に足のつかない若者と、新たな関係を求めるお寺。
この2つの運動ベクトルは、どのように交わるのか。または、どのようにデザインされるべきなのか。

 

「シェアスペースとしての寺」

地域の中での複合的な機能・何となく寄って来れる場所。元々お寺ってそういうごく身近な場所だったんじゃないかなぁと想像している。


カフェ兼コワーキングスペースとか。
イベントスペース兼習い事スペースとか。
都会、田舎に関わらず、最近そういうスペースがボンボンできていってる感じがする。


色んなコトが起こり、色んなヒトがごちゃ混ぜになる。

 

新しいお寺の在り方の、一つのヒントになっているような気がしている。