塾長鍼灸師のあたまの中。

ここだけの話。

気功とは、気のトレーニング。

みなさんは、目に見えないものを信じますか?

 

僕は今、神戸東洋医療学院を選び、そして入学できて本当に良かったなぁと思っています。

 

それはなぜか。

 

とても幸運だったからです。

というのも、この学校には、目に見えない“気”というものをちゃんと扱える先生が、少なくとも2名いらっしゃり、その先生の授業を直接対面して受けることができているからです。

 

「ちゃんと扱える」というのは、つまり自分や他人の気の状態を明確に把握でき、「角度が微妙に違う」「この手が重くなる感じ、わかる?」など、目に見えない“気”を治療家として扱うための的確なアドバイスをくださる、ということです。

 

2年生の後期から始まった、この「太極拳・気功学」という授業は、選択授業ですが、

この気功との出会いは、僕の人生を変えたと言っても過言ではないでしょう。

 

気功とは、「気のトレーニング」という意味です。気とは、目に見えない生命エネルギーのこと。生命エネルギーの扱い方をトレーニングするのが、気功です。2000年以上前に書かれた「黄帝内経」という中国の医学書の古典の中にも、「導引」という気功の原型の記載があるくらい、古くから取り組まれてきたものです。

 

みなさんは、目に見えないものを信じますか?

しかし、よくよく考えてみると、世の中目に見えないものだらけだと思いませんか?

例えば、人の声。音。直接見る事はできませんね。電子レンジは目に見えないもので食べ物を温めてくれますね。電話は、目に見えないのにどうして相手に繋がっているんでしょう?

最近僕は、Bluetoothのイヤホンを買いました。最近、街中でもよく見かけるようになりましたね。スマホで目に見えない相手に電話できるだけでもすごいのに、もはや何にも繋がっていないように見えるイヤホンを耳に突っ込んでいるだけで音楽が聴けて、手ぶらで電話までできる、ひと昔前からすると到底理解不能な時代になりました。

「この人、なんかいいなぁ。」「この人、苦手かも。」会話もしていないのに、直感したことはありませんか?人から出ている雰囲気・オーラみたいなもの。

「場の空気を読む」これ、わりと多くの日本人が得意とすることですね。これも、空気。“気”の一種だということが、言葉からわかります。

 

みなさんは、目に見えないものを信じますか?

 

今、授業でやっているのは、やはり初心者向け「気を感じるトレーニング」が中心です。

感覚を磨き、気がそこにあるのか無いのか、を感じるトレーニングを授業の度に行っています。

 

最近やったのは、「放鬆功(ファンソンコン)」。

呼吸を自然に保ち、ぼんやりしたら、身体の一部に「はちみつが流れていく」ような“どろーん”とした感じがあると、ぼんやり意識してみて、何を感じるかというトレーニング。

例えばこれを、椅子に座りながら「頭→胸→腹→太もも→足」と五段階に分けて「はちみつが流れていく」感じを再現してみます。

やってみると僕は、ぼんやり意識した部分が温かくなったり、ピリピリしたり、「ここが詰まっているな」と意識されたり、あるいは筋肉が緩んでいくような感じがありました。

 

これをトレーニングしていくと、自分が意識しただけで、例えば冷えた手足が温まったり、筋肉をゆるめたりすることが、時間をそんなにかけずにできるようになるそうです。

僕は、気功をしてから寝るようになって、眠りが深くなったように感じます。

治療家としては、気功によって感覚を鍛えることで、手を使って患者さんの身体を優しく温めることができたり、患者さんの状態を敏感に感じ取ったり、断片的な情報を統合して治療方針を立てられるようになったり、より繊細な鍼を打つことができるようになるそうです。

 

ここまで気功について僕なりに説明してみましたが、魅力伝わりましたか?

授業でさえ、「気は、見せることができない。感じてもらうしかない。」「感じたことのある人はわかる。感じたことがない人にはわからない。気とはそういうもの。」と言われているのに、それをあえてここ(ブログ)に書くことに挑戦しましたが、やはり難しいものですね…できるだけ怪しくない文章にしよう、と結構苦戦しました。笑

 

恐らく学校HPでは紹介されてこなかった、神戸東洋の魅力じゃないかなと思います。

今回紹介しきれなかったですが、気功は応用範囲がありすぎる技術です。

また、僕なりの視点で、気功のおもしろさを紹介できたらいいなと思います。

腰痛の患者

 「次の方、どうぞ。今日はどうされましたか?」


僕は、開業して2年目の鍼灸師
今日も患者さんを少しでも元気にできたらいいな。


 「5日前から腰が痛くて痛くて…ぎっくり腰に似た感じなんですが、ハッキリしたきっかけ無く、一日の内に段々動けなくなっていったんです。『これはヤバい…』って感じで。
それからこの5日間ずっと寝込んでいて、やっと少しだけ立ったり歩いたり出来るようになってきたのですが、今度は自分が嫌になってきて…
普段からずっと忙しくしているのですが、それ自体はストレスじゃないんです。ただ、公私ともに、色んな期待を背負っていたんだなぁと自覚しました。」


「色んな期待とはどんなものですか?」


「そうですね… 例えば、会社の忘年会とか、自分が中心で企画したイベントとか、この5日間、色んな予定をキャンセルせざるを得なかったんです。そんな自分がスゴく嫌で…」


「普段から、かなり精力的に動かれているんですね。」


「それが僕の良さ、だと思ってるくらいですから。」


「素晴らしいですね。でも、過ぎていく予定が気になったり、調整しなきゃいけなかったりで、あまり気が休まらなかったんじゃないですか?」


「そうなんです!身体はベッドに寝ているのに、心はどこか飛んでいきそうな感じで…本当は、あまり考え事とかで頭を使うのは良くないってゆーのも知っているんですが…」


「なるほど、自分の身体よりもイベントなどのことを気にかける。とても責任感が強いですね。『色んな期待を背負っている』の意味が段々わかってきました。でも、実際に出来ることは限りなく少ない。そのギャップが苦しかった、と?」


「そうですね…一応、イベントラッシュの時期は過ぎて、それと共に自分の身体も少し楽になってきたんですけど、次は未来が心配になってきて…今は年末年始だからまだ何とかなったけど、このまま腰痛で動けなかったら、僕はどうなっちゃうんだろうって、本当に不安で仕方ないんです…」


「なるほど…大体の状況はわかりました。次は、少し身体を診ながらお話伺いますね。  仰向けに寝ていただけますか?

うーん…やはり、ストレスが強く身体に出てますね。お通じはありますか?」


「いや、結構便秘気味です… 出てもおならばかりで…」


「うーん。あと、食欲はありますか?」


「いえ、あまりないです。一日中動いてないので、空かないのかなぁと思って。昨日は昼に野菜のスープ、夜は炒め物を少しだけ。」


「なるほど…胃腸が疲れているようですが、腰痛が強くなる前は、どんな食生活でしたか?」


「あぁ…普段から、食事には気を付けているつもりではあるのですが、実はちょっと忙しい日が2週間近く続いてて、家でまともに食事を取ってなかったなって…コンビニとか、パンとか、良くてラーメン屋…『これはダメだよなー…』と思っていたのを思い出しました。」


「本当に忙しくされていたんですね。座っている姿勢は多い?」


「あー、かなり。パソコン作業とか勉強とか、机に向かうことが多いのと、あと、車移動がかなり多いです。」


「そうですか…大体、治療するポイント決まったので、今から鍼とお灸、していきますね。」


「よろしくお願いします。」



「さぁ、治療は終わりました。立ってみてください。痛みはどうですか?」


「おっ!すごい。まだ全快ではないですけど、ほとんど痛みが取れました!!」


「気分の方はいかがです?」


「いやー、前向きになれている気がします!すぐに仕事に取りかからないと。あれとこれと…あの人に連絡しやきゃな…」


「ちょ、ちょっと待って下さい!その調子だと、また再発しますよ!少し、落ち着いて。」


「いやー、ついつい。」


「身体の不調は、何かのメッセージ。あなたの生活や、考え方、人生の優先順位など、何かバージョンアップが必要なのかもしれません。再発防止のためにもね。」


「そうですか…でも、今の自分のことは、案外気に入ってますよ?」


「その『今の自分』というのは、『元気に精力的に他人の為にでもバリバリ動けている自分』ではないですか?」


「あぁ… 確かにそうです。」


「それが証拠に、来院された時は『自分が嫌になって…』とおっしゃられていましたよね。逆に、何があなたの原動力になっていると感じられますか?」


「うーん…難しい質問ですが…何でしょう。あ、でも、人の役に立ちたい、とはよく思います。あとは…」


「あとは?」


「認められたい、って想いも強いかもしれません。」


「なるほど。人からの評価…つまり、先程の『気に入っている自分』とは、『人からの評価に値すると"思える"自分』と言い換えられそうですね。」


「確かに…そうか…」


「改めて、どう感じられますか?」


「なんか、脆い感じがしますね…こう…他人の目を気にして、女々しいというか…」


「そうかもしれませんね…」


「もっとこう…深く…自分で自分を認められたらいいのかな…」


「まるごと自分を愛する。というのはどうでしょう?」


「あぁ…愛せてない自分がいたのか…」


「いつだってあなたは、あなたの身体は、自分のために働き続けたはず。最善を尽くし続けてきたはずです。その瞬間瞬間のベストを。」


「そうですよね…」


「痛みは悪者じゃない。もちろん、今痛みを出している腰すらも。」


「…」


「現実に起きた事実には、初め意味はありません。ただ、後から人間が良い悪いと解釈をつけるだけです。脆さを克服するためには、一つの事実に対して解釈に幅を持てるかどうかが大切だと思います。」


「…」


「起こってしまった事実は変えられない。だけども、それに対する解釈は、後からでもいくらでも変えられるはずだ。そうすれば、しなやかに生きることができる。そう思いませんか?」

古民家の謎

ずっと不思議だった。
なんでこの教室はみんな帰るのが遅いんだろう?

 

「なぁ聞いて~!!ほんまムカつくねんけど。どう思う~!?」
「わかるわ~、うちの学校でもなこんなことあってん。」

 

築240年の大きな古民家に、中1女子の愚痴が響く。
その様子を、古い地図や俳句、歴史ある雛人形があたたかく見守る。

 

重く大きく動かしにくい木の箱の上に、座布団を連ねて寝転がるのは本の虫。
「最近は1日1冊ペースで読んでるねん。始まるまでもうちょっと時間あるやろ。」

 

夜の7時半を目掛けてワラワラと集まる中高生たちを迎え入れるのは、この歴史資料館を独り切り盛りする90歳のおばあちゃん。
「こんばんは。みなさんに会えるのが毎週のおばあちゃんの楽しみなのよ。」
「寒くなりましたね。ストーブはこのくらいでいいかしら。今お茶淹れるからね。」
僕は、優しくも芯のある、おばあちゃんの上品なしゃべり方が好きだ。

 

ピピピピッ!ピピピピッ!

 

けたたましいタイマーの音が鳴る。
「さぁそろそろ勉強始めよかー。」
大きな机を囲み、行われていた近況報告が段々静まり、今度は紙が鉛筆を削る音。

 

「センセー、わからへーん。」
緊張の糸を切る一言。
それぞれの課題に、それぞれの集中力で。
それぞれの目標に向かって、それぞれの人生と勉強道具を背負って。
同じ場所に、同じ時間集まる。今日も集まることができてよかった。

 

誰一人、肩に力を入れたような雰囲気がない。
誰かが誰かであることを非難するようなことはない。
みんな「自分が自分であることに、違和感がない。」
というような、凛とした表情をしている。

 

「なんか今日の雰囲気めっちゃ好きやわー、そう思わん?」
中和反応について質問をくれている高1女子に言ってみる。
「えー、別にいつも通りじゃない?どうしたん先生?(笑)」
そうか、いつも通りか。いつも通りやから、いいんやな。
そう思ったけど、口にはせずに言葉を飲み込んだ。

 

みんなここでは心を開いてる。
生徒も講師もおばあちゃんも、互いが互いの存在を認め合っている。
しかも、それが当たり前のように感じられている。

 

「やっぱり、今日の教室の雰囲気が好きやわ。」
教室も、こうやって育っていくんやなぁ。

 

ピピピピッ!ピピピピッ!

 

「よしっ!振り返りシート書いてコメントもらったら帰りやー。」
「センパイ、ちょっとこれ聞いてもいいですか?今度の定期演奏会で弾くんですけど…」
「先生、どうやったら放課後メリハリつけて勉強できるんですか?」
「今日の感想はー…“分数の計算が案外苦手やったから練習したい”っと。」
「じゃあ迎え来るまで、また続き読むか。」

 

あー、そっか。

 

やっと謎が解けた。
簡単な答えだったのに、僕が気付けてなかっただけ。

 

「早く帰りやー。迎えもう来てはるでー。」
僕は笑いながら意味のない言葉を発した。