塾長鍼灸師のあたまの中。

ここだけの話。

「満足」はつくれる。

情報過多の時代だ、と言われているのを聞いたことがある。
確かに、若者にとって、メディアは多様化している。
FacebookTwitterinstagramなど各種SNSに始まり、テレビも未だに影響力は弱くない。
ネットニュース。Youtubeなどの動画サイト。新聞、雑誌、ラジオなど。
すべてをチェックしようと思っても、まぁキリがない。
情報が流れ込んでくる。気になったことはすぐに検索できる。
みんなの”反応”を見ることもできる。
 
こんな時代に「満足する」というのは、とても意識的にしないと、
実感することが難しい行為になってきているのではないかなぁ、と思う。
 
その理由は2つある。
一つ目は、常に「自分が選ばなかった選択」が見えてしまうことである。
例えば、休日の過ごし方。自分が「これをしたい気分だなぁ。」と思って何か始めたとしても、
SNSを見ていれば、自分とは違うことをして、楽しそうに過ごしている人なんて数えきれない。
「あー、これをすればよかった。」と思ったことは少なくない。
経済学の用語では、この現象を「機会費用」と呼ぶ。
つまり、自分が選んだ行動にかかった時間に得た利益と、
自分が選ばなかった行動で得たであろう利益との差のことである。
選択肢が膨大に見えてしまう環境で、自分なりのベストを選び続けることは難しい。
もし仮に選び続けていたとしても「これがベストかどうか」自信を持ち続けるのは難しい。
だから、「満足する」ことは難しい。
 
二つ目は、一つ目の理由とも関連するが、
人参をぶら下げられた馬のような状態だからだ。
例えば、Youtubeで最近気になっていたアーティストの曲を聴いていたとしよう。
その曲を聞いて、「やっぱりいいなぁ。」と思っていると、
曲が終わる前に、否、その曲が再生された時点から
「そのアーティストの他の曲」だったり「同ジャンルの人気曲」だったり、
最終的には「あなたへのおすすめ」が提示されている。
このループはAmazonにも当てはまる。SNSにも情報の終わりはない。
すなわち、情報過多の時代、何かコンテンツを楽しんでいる最中にも
次に見るべき情報が用意されていて、
今楽しんでいるコンテンツを見終わった途端(あるいは見終える前に)
次の情報に手が伸びてしまう仕組みになっている。
いつまでたってもゴールはない。
鼻息を荒らして走り続けるか、あるいは人参をあきらめるしかないのだ。
 
そんな時代に生きる若者だが、溢れ返る情報に振り回されず、
幸せに生きるためにどうしたらいいかと考えていて、
ある”コツ”に最近気付いた。
 
誰にでもできる簡単なことだ。
 
「意識的に余韻を楽しむこと」である。
 
何かのコンテンツが終了した、一区切りした時点で目を瞑り
「はぁ~、最高やったな!」「もう満足した!」「わろたなぁ!」
と声に出す。
 
それだけ。
 
間違いない自分の実感を、目を瞑って口に出すだけ。
それだけなのだ。
 
それだけなのに、心は幸せで満ち足りてしまった。
文字通り、満足することができてしまったのだ。
 
情報過多の時代の幸せは、
一時的に情報を遮断し、自分の心や体に目を向けることにあるのかもしれない。

「ナナメの関係」とは何か

寺子屋をやっている地域では、20代の人が極端に少ない。
それは、中高生にとって由々しい問題である。と考えている。
なぜなら、「自分の5年後10年後、自分はどんな風に生き、何を感じ、どう悩んでいるのだろう。」
というリアルな自分の将来がイメージしにくいからだ。
 
その中で、「寺子屋では、ナナメの関係が大事だなぁ。」と感じてきた。
ナナメの関係とは、「先生や親ではない。かといって、友だちでもない。お兄さんやお姉さんのような存在。」
と定義してきた。
寺子屋では、講師は20代前後。その講師が、子どもに寄り添い(共感)ながら、
勉強を含め、自分がどう考え、何に悩んでいるのかを教えるメンターとしての講師が大事だ、と。
 
そんなことを考えながら、講師と子どもとの関係を観察していたある日、ふとあることに気付く。
「子どもとすぐに仲良くなれる講師はいるけど、それは信頼関係とは違うんだよなぁ…」
「なかなか打ち解けられない講師は、尊敬はされているようだけど、信頼が深まらないなぁ…」
 
あっ、と思った。
 
「信頼とは、共感と尊敬の掛け算である」と。
すなわち「信頼の深さ=共感×尊敬の面積の広さである」と。
 

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信頼関係を深めようとすると、
タテ(尊敬)だけでもいけない。
ヨコ(共感)だけでもいけない。
タテ(尊敬)×ヨコ(共感)=面積を増やす努力をしなければならない。
 
つまり、ナナメの関係とは、
この”信頼面積の最大化”を目指すための言葉だったのだ。
 
子どもたちは、安心できる場所があって初めて、創造性を発揮できる。
信頼面積。人間関係の新しい見方を得ることができた。

カルテを書いています。

将来坊さんになりたいと考えている僕には嬉しいことに、

daiki526.hatenablog.jp

最近「こんなことで悩んでるねん…」という相談を受けることが増えてきたように思う。

 

否、人の悩みというものに対するアンテナを高く伸ばして、拾い上げているからかもしれない。

 

相談の内容としては、

「身体」「教育」はもちろん、

「キャリア」「起業」「恋愛」「家族」「医療」「ビジネス」「人間関係」など、

ジャンルは多岐に渡る。

 

「せっかく相談に乗っているのに、ノウハウが蓄積していかないのがもったいないなぁ…」という想いから、

”坊さんスキル”を高めていくための仕組みとして、

最近「駆け込み寺相談カルテ」を書くようになった。

 

カルテは、将来鍼灸師になったとしても書くべきものであるし、

今からカルテを書く習慣が身についていたら実践に役立つだろうという確信があった。

 

書き溜めている内容としては、日時・場所・名前・ジャンルはもちろんのこと

Subjective=主訴(相談者からの直接の訴え)

Objective=客観(相談者の訴え以外の客観的な情報)

Assessment=評価(SとOを統合して見えてくるもの)

Plan=計画(Aを踏まえた返答・処置・対応の計画)

 

相談を思い返しながら、相談内容を敢えてこの4項目に分けて捉えるようにしている。

それは、自分の認識装置を研ぎ澄ますことに他ならない。

カルテに記入していると、自分が収集した情報の偏りや抜けによく気付く。

すると、次にどういった情報を収集すべきかの方針が立てやすい。

 

それに慣れてくると、次は相談の最中に抜け漏れが見えてくるようになる。

SとOを切り分けながら情報をアセスメントし、プランニングするという思考回路を鍛え、その上で相談に乗っている最中の思考の軌跡を情報として蓄積できれば、

僕はあらゆるジャンルにおいて相談に乗れ、そして悩みを解決する人間になれるんじゃないかなーと感じている。

 

「あなたのやりたいを叶える鍼灸師」←身体・医療

「あなたのやりたいを叶える塾長」←教育・キャリア

「あなたのやりたいを叶える坊さん」←その他(起業・恋愛・家族・医療・ビジネス・人間関係)

 

相関図で言えば、坊さんが鍼灸師も塾長も覆っているわけなんだけど。

まぁ見た目が違うだけで。

全ての瞬間、瀬戸大喜なわけですから。

 

どこにお金を支払ってもらうか、によって違うだけですね。

身体の痛みを取ってもらっているようで実は、それ以外の悩みが解決しちゃってる、みたいな。

僕は、「苦しんでるんだけど、これ、何なのか正体さっぱりわからないんですよね。。。」

ってゆー悩みを紐解いていくのが一番好き。

ジャンルが定まれば、それはもう悩みじゃなくて、課題になっているだろうから。

そうなれば次は僕ではなく、各方面の専門家の出番だろうから。

 

だから、この先、僕に何か話をする人は気を付けてください。

きっと分析されていますよ。笑

 

ただし、その動機は、「面白い!」ってゆー無色透明な好奇心であり、

とても誠実に、「あなたの悩みを解決したい」

もっと言えば「気持ちよく最高の日々を送る人を一人でも増やしたい」

そう願っているところにありますので、ご安心を。笑

 

そして、そのカルテの内容は誰にも見せたり公開したりしないので、ね。