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塾長鍼灸師のあたまの中。

ここだけの話。

意外な自己の再発見は、癒し。

瀬戸大喜です。
私は、子どもからお年寄りまで癒せる人を目指しています。
 
こんな言葉が、自分から出てきて、びっくりした。
 
へぇー、そうなんだ。的な。
 
そうなのだとしたら、今は子どもにとっての学びと、大人にとっての癒しについては考えてきたつもりだけど、子どもにとっての癒しとは何だろう?大人にとっての学びとは…?
 
大学時代、「癒しとしての学び」というワードに出会っていたことを思い出す。
 
「学び」とは、「新しい情報に出会う中で、自己を再発見すること。」
 
「癒し」とは、「自然な自分の姿と今の状態とのギャップに気付き、肩の力を抜くこと。」
 
そうだとしたら、新しい情報に出会い、自分のことがわかってくる中で、「自分は、これでよかったんだ。」って思えたら。
癒しとして、学びは成り立つ。
 
以前、こんなことを書いた。
これかぁ。子どもにとっての癒し、は。
結局僕は、癒したいんだ。あらゆる人を。だから学ぶ。だから、学んでほしいと思ってる。
 
じゃあ僕は、「子どもからお年寄りまで癒せる人になりたい」って思う。
僕の一部が言語化された。このことによって僕は癒されているんだなぁ。
だからブログを書くと楽になれる。これこそが、癒しとしての学びなんだなぁ。

人生とは。

似合わない仕事をする友人を見て。

 

いや、失礼なのかもしれないが。

 

ところで、今、電車の中で隣のおっちゃんが

「関白宣言」をフルコーラスで歌っている。

冷たい缶コーヒーを啜りながら。

 

つまりは、そういうことなのだ。

 

春の陽気に見舞われて、

何の前触れもなく、

赤井ランドセルの少女が走り出した。

 

あるいは、こういうことなのかもしれない。

 

その姿は、自然なように見えて

知り合いにすると不思議に感じてしまう。

 

人間は、過去というイメージの中で生きざるを得ないが、

本人の中では、僕には及ばない

ある種の合理性の中に

生きているのかもしれない。

変わってもいい。

人生絵本製作の中で、もともと僕の中にあったらしい、

新たに出会った言葉、テーマです。

oekakigiemon.hatenablog.com

引き出してくださった、出口さんへ感謝。

 

確かに、これまでの人生、どこか「変わってもいい。」と意地を張ってきたように思います。

ともすれば、「一途がいい」「生まれも育ちも○○です。」「小中高大ずっと野球少年でした。」みたいなものが称賛されるような社会の中で、

僕は、3年に1度はやっているスポーツが変わるし、中学と高校と大学では、全然一緒にいる友達が違うし、大学になってからは特に変化の度合いが顕著で、「いつもなんか違う人と違うことをやっている、掴み所の無い人」みたいな感じだったと思います。多分。

 

わかりやすいんだろうなぁ。

わかりにくいんだろう、僕みたいなのは。

 

どこか、「それでいいんだ。」と意地を張ってきたような気がしてました。

 

そんな中。一冊の本に出会いました。それは、鏡リュウジさんの「双子座の君へ」という本です。

ryuji.tv

「双子座だからどう」というのは、まぁきっかけにしか過ぎないわけですが

その本の中の言葉に、こんなものがありました。

 

「いくつもの夢をかけもちすることで、常に全力で進んでいける。」

 

なるほどなぁー!と。

これでよかったんだ、と。

 

そこから、僕はまっすぐに「変わってもいい。」を歩み始められた気がします。

 

変わらない方が安心するんですよね。
僕も、新生活が始まって、ちょっと体調的に怪しい部分もあります。
 
でも、「他人が変わらないことに対する安心感に寄りかかって生きることは、
自分が変わらないことが怖いけど、それを肯定したい」という気持ちに他ならないのではないかな、と思います。