塾長鍼灸師のあたまの中。

ここだけの話。

入院日記⑩ ペンと一冊のノートさえあれば。

怪我をして、無力で、凹んでいる自分がいる一方で
医療者の卵として、はたまた医療社会学の本を読んでいた学生として
「入院」という体験の中で感じることの密度はかなり高かった。

 

その意味で、今回は本当にいい経験をさせてもらっている。
「転んでもただでは起きない。」ってこーゆーことかなぁとか思いながら。

 

これまでの人生の中で、特に大切にしてきたこと。
それは、考えたこと、感じたことをちゃんと紙に書いて残すこと。

 

入院というボーナスタイム。
これだけ自分の頭の中に向き合う贅沢な時間はなかなか取れない。

 

そして、入院という現象を捉え直してみると、それはすなわち「急激な環境の変化」だ。

 

その中でも冷静で、平常心を保ち、ちゃんと次のことを考えることができるのは、
ペンと一冊のノートがあるから、なのかもしれない。

 

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逆に、それさえあれば、どんな状況になっても強く地面を踏みしめて、生きていくことができる。

 

そう確信することさえできた。

入院日記⑨ 看病は必要。

「うん、うん…まぁ大丈夫やと思うよ、来んでも。家から遠いしなぁ。」

 

心配する親をなだめていた入院決定直後。

それでも、手続きのサポートやら、着替えや日用品が必要なことが判明し、結局母親に来てもらうことになった。

 

するとまぁ、なんだろう。
「痒いところに手が届く」というのかな。


看護士さんにはやはり頼みにくいことでも、
本当に気兼ねなく言えて
QOLはグンッとステージアップした感じ。

 

身体を拭いてもらって、着替えて、おやつ食べて、イヤホン取ってもらって、スマホを充電できて、ノートを買ってもらって。

 

「看護士さんもっと何でも頼める雰囲気出しておけよ」とかゆー次元ではないように感じた。

 

看病に来てもらえて、本当によかった。


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入院日記⑧ 強制的無力状態の、要・不要。

何かの本の中で

「病院の持つ機能の一つとして、"社会からの隔絶"がある。」
という記述を見たことがあった。

 

学校のテストや授業を休み、仕事を休み、迷惑をかけてしまった人に連絡をする中で感じるのは


「入院している」というカードの強さ。

 

「ぎっくり腰で動けない」という中身は同じでも
入院するか否かで、反応には大きな差があったであろうことを感じる。

 

その意味で「まぁ入院できてよかった。結局疲労が抜けないと意味ないわけで、身体を休めるにはいい理由になった。」と感じた。

 

一方で、状況は人を変える。
退院後やその先をしっかりと見据えていないと、どんどん本当に無力な存在に近付いている気さえした。


「入院というカードを使う」くらいの主体的なスタンスでいないといけないなぁと感じると共に、「さて、世の中にはそんなヘルスリテラシーのある人はどのくらいいるのだろう」と疑問に思った。