塾長鍼灸師のあたまの中。

ここだけの話。

教育とは何か

昨日、篠山医療センターで開催された地域医療に関するセミナーに参加した。
その中で印象に残っているのは、
「医療は、命、健康、より良く生きることを下支えすることが役割だ。」という言葉だった。

 

だとしたら。
教育は、どんな役割があるのだろうか。

 

僕は、甘かった。
「学校に行くのが当たり前」
「大学を目指すのが当たり前」

 

僕の中で、無意識にそんな甘い前提が刷り込まれていた。

 

でも、現実には自分が通ってきたルートが全てじゃないことは、この三年間本気で子どもたちと向き合う中で体感したことだ。
本来、学校も大学も、教育、自己研鑽、成長?の手段に過ぎない。では、子どもたちに教育を与える目的とは何なのか?

 

僕の好きな、サンクチュアリ
「戦後の復興の貧しい中で、教育に投資する価値はある。10年20年後の未来の国を、教育が創ることになる。」というニュアンスの言葉が出てくる。

 

もっと教育の本質を捉えたい。
一人ひとりの子どもの学習状況に対して、「より良くするにはどうしたらいいか」と答えを探すのは、簡単ではないが、 それに対するプロは世の中に沢山いる。

 

そんな中で、僕自身が起業し、ささやま寺子屋塾を経営する意義は何なのか?


もちろん、 プロ達のいる所へアクセスできない地域に住む子どもへ、サービスを提供することに一定の価値はある。
しかし、そのプロ達のいる所へアクセスできる環境を整えるのではなく、自分自身が教鞭を取ったのは何故なのか?

 

また、なぜ学校というカリキュラムや目的が予め定められたフォーマル教育の場ではなく、寺子屋というそれらが定められてないなノンフォーマル教育の場を作っているのか?

 

教育者として、子どもの人生に関わる責任とは何か?
子どもへの教育を通して果たすべき社会的な役割とは何か?

 

僕は考えた。
あるべき社会を見据え、未来を創造することが、教育の役割なのではないか、と。
そして、何か、学校で行われる教育の方向性に違和感を感じるからこそ、寺子屋という独立した学びの場を作っているのではないか、と。

 

次にどんな社会を創りたいか。

それを言葉に落とし込むことが、ささやま寺子屋塾の哲学、つまり教育の軸を創ることになる。
それが言葉になって初めて、変化の激しい時代に、これまで一般的だと思われてきたルートを外れる道を歩む子どもをも、正しく導くことができるようになるだろう。

 

ここまでは言葉になってきた。
次の宿題は、ちょっと重いなぁ。

 

どんな社会を創りたいか。
合同会社ルーフスを、どこへ向かわせるのか。

 

まだまだ道半ば。
満月の夜に。

透明な空気

「じゃあ・・・また。」

歯切れの悪い挨拶に少し気まずい雰囲気だったのは、きっとまだ喋り足りなかったからだろうか。

熱帯夜という言葉がぴったり。京都鴨川のほとりで、僕と僕の姉は別れた。

 

4歳も離れた姉弟の割に、仲は良い方だと思う。

天邪鬼な性格。他人の気持ちを考えすぎて言い淀む癖。夢見がち。あと、顔。

最後のは、他人から見ると一目瞭然らしい事は、ちょっと照れ臭い。

図らずも似た姉弟は、大人になるにつれ、より一層互いを深く信頼するようになっていった。

 

「今夜、食事しませんか?」

そう連絡したのは僕の方だった。

「いいねー!ダラダラ色々と喋れたら嬉しいから、大喜と私の二人がいいなぁ(笑)」

 

姉ちゃんが自分の店を構えてから、もう何年経つだろう。お互い忙しくて「ゆっくり二人で」なんて、何年ぶりだろう。

僕が大学生の頃は、まだ実家にいたのもあって、語り合う時間がたくさんあった。

ご飯を食べ終わり、親が寝た後、週末の夜、リビングで。

その時々でテーマはバラバラだったけど、僕の人生にとても大切な時間だった。

夜中2時くらいまで話すのは日常茶飯事だったなぁ。

まだミニチュアダックスのぷぅが生きてた頃だ。膝の上で撫でながらってことが多かったけど、実は「早く寝かせてよ。」なんて思ってたのかも。

サラサラした毛並みの感触。痩せてたから骨張っててさ。

秘密基地っていうか…「世界中でここでだけは本音の本音、素の自分で居られる。」

 

そんな透明な空気だったこと、鮮明に思い出すような。

ちょっとノスタルジックで、でもすごく新鮮味のある食事会になった。

 

「この異常気象。もうすぐ地球が終わると思わない?なんとなく不安で生きてるんだよね、最近…」

姉ちゃんがこんなことを言い出したのは、店を出て終電迫るタイミングだった。

つくづくアーティストだなぁと思う。でも、その極高した感性を、僕は信頼している。

「そっかー…そんな風には思ってなかったな。あ、そろそろ、帰らないと。」

「うん。そうだね。」

「じゃあ・・・また。」

 

後ろ髪を引かれながら、最後に落とされた爆弾について考えながら駅に向かって歩く。

終電には間に合った。

そりゃあ、誰でも大なり小なり、何かしらの不安を抱えながら生きてるんじゃないかな。

そう思いついて、スマホをポケットから取り出す。

「命ある限り、生きていくしかないですよ。」

「うん、そうだね。」

「これ、読んでほしい。自分で言うのもなんだけど、読んでて泣きそうになる文章。」

と、東日本大震災のことを書いた文章を送る。

 

“「命を燃やして生きなければならない。」

これは、使命だ。何のハンデもなく生かされた、僕の使命なんだ。”

 

「2回目読んだら涙がとまらなくなっちゃって、電車なのに困った。(笑)」

「ありがとう、ありがとう。これがここまで伝わるのは姉ちゃんにだけだよ。今日は話せてよかった。」

「ありがとう。私たち姉弟でよかったね。」

別れ

俺も、もうそろそろだ。
最期は、少し無惨なところを見せるかもしれない。


「意識がはっきりしている内に遺言を記そう」
そう決めたのは、ちょうど1ヶ月前の6月29日。季節外れだけど、今年初めて蝉の鳴き声を聴いた日だった。
夕方になると、このベッドからは、木漏れ日が覗く。季節や自然を感じると、なぜだか俺は安心した。


病院は孤独だ。無機質で、検査ばっかり。
誰も俺を人間としてなんか見てやしない。数値、数字、管理…俺にだって、仕事をバリバリやってた時があったんだぞ。おい、そこの看護師よ。お前よりも俺は仕事が出来たんだ…


いや、違うか。
老いゆく自分と折り合いをつけるのに、時間がかかっているだけだ。自分の人生。プロフェッショナルとして駆け抜けてきた自負とプライド。そして、老いぼれたこの身体。だてに鍼灸師として生きてきたわけじゃない。自分の身体が今どんな状態で、どこが弱ってるか、なんて手に取るようにわかってんだ。それに、心がまだ追い付かないだけ。


いや、今の気持ちはそれだけじゃないな。
静かに、でも厳然と横たわる「死」というものを目の前にして、ついぞそっちへ行ってしまうのか、と、淋しくて、意固地になっているだけなのかもしれない。


人間は、生まれる時も、死ぬ時も独りだ。
何も着ずに生まれ落ち、焼かれて何も持たずに天に召される。


そんなことはわかってる。
遺言を書こうと決めてからの1ヶ月、何回だってそんなことは考えたよ。


開けていた窓から、蒼い風がそよいできた。
「気持ちがいい。」少し汗ばんだ体を駆け抜けていく…
便箋が飛びそうになって、慌てて手で抑える。


ただ、俺を淋しくさせるのは、これまで俺が深く愛してきた者たち。
そして、その者たちからの愛だ。


この遺言を記そうと思い付いたのも、家族が俺の病室へ勢揃いした時だった。


「わー、久し振りね?!元気にしてた?」
「あらー、大きくなったじゃない?末っ子ちゃんだっけ。いくつになったの??」
「最近仕事が忙しくてさ…しかもそんな時に限って上司に怒られるし…やってられないよ。」
「お前、そんな文句言うなよ。怒られてる内が華だぞ。怒られなくなったら、もう辞めるしかなくなるからな。」
「もういいの。彼のことは忘れるって決めたから。」
「えー、でも、前会った時はあんなに好きって言ってたじゃない?この人が運命の人だとかさ。」
「お父さん、さくらんぼ買ってきたよ。あれ、嫌いだっけ?まぁいっか。私好きだから、食べてあげるね。」


何も答えてないのに、どっか行っちまった。
好き勝手しゃべりやがって…


「俺なんか居なくたって、こいつらは幸せになれる。」
ふと、そんな言葉が脳裏に過る。


そうか…それでいいんだよな、きっと。


俺がベッドで寝転んでいるのはよそに、みんなそれぞれに話をして盛り上がっていた。
俺は、それを聞きながら、とても穏やかな気分になった。


みんな、これから生きていくんだなって。
それぞれに今があって、
それぞれに、未来を描いてる。


淋しいと感じるのは、俺が彼らを深く愛してきた証拠。
穏やかな気分になったのは、俺が役目を終え、人生の全うを感じるからだ。


日が暮れてきた。
暗くなるけど、まだ灯りを点けるほどじゃない。この時間が来るのを待っていたような気がする。


さて…と。
3年前に娘からプレゼントされた紺色の万年筆を手に取る。


"ここに、遺言を記す。
 まず第一に。

 この世界は、生きるに値する。"


「結局、子どもの頃からずっと、字は綺麗にならなかったな。」
そんなことを思い出し、少し嬉しくなる。


"どんな困難があっても。
 その先には、希望がある。"


俺は、背中で希望を見せようと努力し続けてきた。
実際、彼らの目にはどう映ってたろうな。


"幸せに誰よりも真剣で、貪欲であれ。
 子どもや他人を幸せにするには、
 まず自分が満たされてないといけない。
 これは、お前たち自身だけの問題じゃないんだ。"


俺が生まれたのは、バブルとやらが、崩壊した後だ。
経済成長が終わり、その当時を知る大人がつけた言葉は「閉塞感の時代」。
そんな不細工な言葉つけるんじゃねぇよ。
お前にとっちゃそうかもしらんが、何故その価値観を子どもにまで押し付ける?
「絶対に新しい時代に合った生き方、価値観を見つけてやる!」
思考し、傾聴し、対話し、共感し、行動し、共有し、また思考する…模索し続けていたら、こんなところまで来てしまった。


"真剣に生きているほど、人生はあっという間だ。
 後悔の無いよう、自分が正しいと思う道を進め。"


一言一句、嘘偽りのない言葉を書けている。
この遺言は、俺の人生そのものだ。


"最後に。
 言わなくてもわかってるとは思うが、家族と過ごす時間を、何よりも大事にしろ。
 そうすれば、人生は素晴らしいものになる。"


コンコンっとドアが鳴る。
「瀬戸さん、検査の時間ですよ。」


俺は、ふぅっと溜め息をついた。