塾長鍼灸師のあたまの中。

ここだけの話。

家族であること。家族になること。

「いや、まぁ、よくわからないけど。お前のことは信じてるよ。」
 
冬の匂い。
思いっきり深呼吸すると、鼻の奥がツンとしまる。この感じ。
この感じがすると、僕は決まって北海道を思い出す。
道端に背丈くらい積み上げられた雪山。
お店の自動ドアの前だけつるつるに固まって。
地元の人か観光客かは、歩き方を見るだけでわかった。
 
「僕はここで生まれたんだ。」
大学の長期休暇が来る度に、僕は自分のルーツを探るかのように、
3歳で離れた自分の生まれ故郷を訪れた。
大通り公園。藻岩山。真駒内。曙団地。
なぜ北海道大学に進学することを思いつかなかったんだろう。
自分で自由に進路を選べるタイミング。
あれは、大学をどこにするか相談した時のセリフだったような気がする。
 
「まぁ、よくわからないけど、お前のことは信じてるよ。」
 
家族であることと、家族になることは別だと思う。
 
うちの家族には、独特の雰囲気がある。
我が家に流れる空気。
安心感
寛容性(理解できないでも信じることができる親)
好奇心
自己決定の尊重

「日本ではどこか、『制度が勝手に運んでくれる』という意識が刷り込まれている。」
この言葉は、お世話になっている牧師さんの言葉。

家族である、ということが、心のホームを作るわけじゃない。
”家族になる努力”を怠らないからこそ、家族が集まった先に安心がある。
 
状況が変化しても、理解し難い考えが他のメンバーから浮かんでも。
「まぁ、よくわからないけど、お前のことは信じてるよ。」
こう言って対応しようと努力してくれる親の元に育った僕は、最高の幸せ者だと思う。

Life is surfing.

深くため息をつく。
僕は、作文が一向にまとまらず、悩みに悩んでいるうち、遂に匙を投げてしまった。
書きたいことは山ほどあるのに、まとまらない。
もどかしい。
Life is surfing.
頭の中に沸き立つ景色。
 
一日家から出られなかったから、二人で海を見に行った、台風の過ぎた夜。
立ち入り禁止の手すりを超えて、僕たちと真っ暗な海を、遮るものは何も無かった。
「怖い。」
「落ちたらどうなるんやろな。泳いで帰ってこれるんかな。」
「やめてよ、そんなこと言うの。」
恐怖をあおるように冗談を言いながら、何も考えずに真っ暗な海を眺める。
近くにある工場からの煙が、雲のように流れて、速い。
自由に泳ぐ波を見ていると、自分の地面まで揺らいでいるように感じてくる。
確かだと思って立っている地面だって、地球表面の3割に過ぎない。
そう考えると、僕たちの今の生活での悩みや、こだわっていることも、全て捨てたって生きていける気がした。
 
こだわりを捨てて、海底まで降りてきたら、やっぱり確かな地面があって驚く。
 
自分の中へ、深く深く潜っていく。
 
サーフィンをしてみたいと思って、早3年が経つ。
「時代の波に乗る」とか言う直喩があるけど、それを体感として知っていたら、波に乗り始める感覚とか、乗り続けるためのコツとか、乗り捨てるべき波の特徴とか、そんなものがわかるんじゃないかなって、頭の中だけでぐるぐる考えている。
 
僕たちは、仮初めのぬるま湯で、実は荒波の中に生きている。
 
「確かなもの」を求めて必死に杭を打ち込んだって、結局そこは底の見えない海。どんどん状況は変わって、結局流されてしまう。
だったら、沸き立つ波のエネルギーだって背に受けて、進んで行けた方が楽しいんじゃん。

Life is surfing.
そう言ってまた、今日も荒波に揉まれに行くんだ。

甘えてやしないか。

 
全3話のこの話。
「競合が無い中で一時的に成り立ってた」「思わぬ形で競合が現れても、その市場の変化についていけるかどうか」というメッセージが、刺さった。
 
俺らは勘違いしちゃいかんよね。
たまたま競合が現れてないだけって側面、全然否定できないよね。
 
寺子屋が上手くいき、移動カフェが上手くいかないのは、「競合が出てきたか否か」の差でしかない。
思わぬ形で市場は変化する。常に変化する。
移動カフェでは、出店先にコーヒーの自販機が増えた。だから、売れなくなった。
市場の変化に対して、対応できなかった結果、売れなくなった。ただそれだけ。
 
寺子屋は、まだ競合らしき競合は、同じ地域の中には生まれていない。
しかし、例えば通信教育の波が来たら。同じような想いで利益度外視の学生が来たら。行政主体の、無料で通える塾ができたら。
それでも寺子屋に通い続けてもらえるだけの、クオリティでサービスを提供できているのか?
ファシリテーションやカウンセリングの技術。コミュニケーションの技術。
プレゼンテーションの技術。教育に関する情報収集能力。
教育のプロとして、学習支援、学習環境整備の支援、人生相談、子育て相談、できているのか?
 
寺子屋はまだもう少しの間、「競合が無い中で一時的に成り立ってるだけ」の事業に過ぎない。
でも、クオリティは確実に上がってきている。信頼も獲得してきている。
もう少しだ。もう少し。
「これ、ほんま都会に出ても絶対負けへんからな。」と自信持てるため、そしてその自信を持ち続けるために、
努力を怠るな。教育の本質をひたすら求め続けるんだ。
 
教育を考えることは、社会を考えること。
どんな社会をつくりたい?
そのためにどんな教育をしていく必要があるんだ?