2019年6月21日時点に書いていたメモ。
公開することに何の意味があるのかはわからない。
自分の中で「ばあちゃんの死」というものを消化したい、という気持ちはある。
だが、「完全に消化してしまったら、この世からばあちゃんの存在が消えてしまいそう」という気持ちもある。
いつまでの宙ぶらりんのまんまで留めておきたい気持ちもある。
だが、整理をつけて次に進みたい気持ちもある。
いや、実際どんどん前には進めているのだから、別に現状「ばあちゃんの死」という現象に足を引っ張られているわけではない。
むしろ、その鮮烈な記憶に、背中を押されているくらいだ。
ばあちゃんの葬儀の次の日。
頭がまだぐちゃぐちゃだった時に書いたメモに何か価値を感じて、
僕はこのメモを公開することにした。
ーーーーー以下、メモーーーーー
僕は今から散文を書く。
冷たい肌の感触。
お別れの瞬間の涙。
母娘が抱き合って泣いた納骨の後。
ばあちゃんは、愛されることを強く求めていた。
ばあちゃんは、正直トラブルメーカーだった。
介護の負担が心配。
この先じいちゃんはどうやって生きていくんだろう?
大きな困難を家族全員で乗り越えることができ、
月並みだが絆が深まった。
「すぐに生き返りそうな気がする。」
死と真正面から向き合うこと。
節目ができた。
親戚一同集まれた。
普段できない会話。
瀬戸の家紋。見つかった傘。
「大丈夫。寂しくないよ。」
「安らかにお眠り下さい。」
僕にできる供養は、こうして文章にすること。
早百合ノートの行方は?
姉がゆなを認めた感。
膨大な量の写真。だいきからの手紙と写真。
父さんが子どもの頃。
思い出がいっぱい詰まった部屋。
ばあちゃんの匂いがいっぱい詰まった部屋。
納骨の時の冷静さ。
肺がんステージ4~大腸への転移。そして下血嘔吐。
ラスト1か月半の幸福。
うつ状態からの入院。
家族を悩ませた歴史。