「あなたのためなの。」
そんな言葉が彼に通じるはずがないことは、重々わかっていた。
だって、彼の底抜けの無頓着さに何度救われ、そして何度失望したことか。
「俺はまだお前と一緒に居たい。」
弱々しい声。犬の遠吠えと、サイレンの音。
彼との出会いは、中学生の時だった。
教師家系に育った私は、その頃、お腹の中に“勉強コンプレックス”を育てつつあった。
勉強もスポーツもでき、しかも優しい。
そんな彼を好く女の子は少なくなかったし、私もその一人だった。
でも、付き合ってわかったのは、彼は“おめでたい奴”だということ。
無言で返事をした。
夜風が気持ちいい。
この丘の上の公園に待ち合わせてしゃべるのは、お決まりのデートコースだった。
何の話をするわけでもない。中身なんて重要じゃない。
中学生の会話なんて、決まってそのようなものだ。
他愛ない話をしながら、夜空を眺めているこの時間が好きだった。
「俺の何が悪かったの?」
彼は本当に私をイラつかせるのが上手い。
生まれてこの方、何にもつまずいたことがないんじゃないかしら?
“なんで私ばっかり…”
優しくて無頓着な彼といると、少し癒された。
でもそれ以上に、自分に降り注ぐ理不尽さを呪う気持ちで埋め尽くされてしまう。
「ほんとに中学生の時と変わらないのね。」
“その自分の無頓着さに気付かないところよ。”
そう続けそうになったが、どうせ分からないだろうと、口をつぐんだ。
彼は地域で一番賢い進学校へ行き、私にそれは叶わなかった。
彼は現役で大学へ進んだが、私は今、浪人生をしている。
彼は何不自由なく生活しているのに、こんな大変な時に、私の父親は亡くなった。
厳格で重すぎる期待を私にかけて来るクセに、全然家にいなかった父親が死んだ。
私には、どう受け止めることもできなかった。
心が悲鳴をあげた。
それから、薬を飲んでしか、寝ることができない日が続いた。
胸の中に爆弾を抱えている。
心臓と一緒にドクドク音がして、
膨れ上がった日は、いつ爆発するんじゃないかと怖く、身体は重く、
頭中にドクドクの音が響き渡って眠れなかった。
「私は前に進みたいの。」
「俺が支えてあげるから。これまでだってそうしてきたじゃないか。」
「そうね、そのことに関しては、本当に感謝してる。あなたに救われたこともある。」
「じゃあ、これからだって一緒に居ようよ。」
「それはできない。しないって決めたの。」
「なんで…」
苦しかった。彼の優しさが。
すすり泣く音が聞こえてくる。
彼が嫌いになったわけじゃない。
今の彼との関係が、嫌になっただけだ。
どこまでも寄りかかってしまいそうで、怖かった。
そんなことしちゃいけないって、私のプライドが言ってる。
「ごめんね。」
「…何が?」
「最後まで何もわかってあげられなかったから。」
鈴虫が鳴いた気がした。
季節が早く進んでほしいような。
でも、まだこの余韻を味わっていたいような。
少し蒸し暑い、月の無い夜だ。