ファミリーヘルスの高め方

家族・健康・教育・生き方

誇らしかったこと。

「将来は、瀬戸さんみたいに生きたいです。」

塾長である彼との出会いは、2年前の夏だ。

 

“ささやま寺子屋塾”というのは、

小学校の閉校したうちの地域に最近できた、塾の名前だ。

他に何も考えず、勉強に集中できる環境がほしかった。

中学生の弟が先に通っていたが、

そこに高校生の僕が後からついていく形だった。

 

「将来の夢がわからないんです。」

僕の家は、学校から遠い。

片道1時間自転車を漕ぐ。雨の日も、雪の日も。

そして僕は、高校球児として朝練もこなし、部活からの帰りは遅かった。

更に学校では、テストに次ぐテスト。

 

「今振り返ったら、部活終わるまでは、体力と頭のすべてを野球に捧げてたと思います。」

部活が終わった3年の夏。解放感が終わったら、次は焦燥感が襲ってきた。

具体的な夢を口にする同級生が増えていた。

 

残酷なほどに時間は過ぎていく。

適当に決めたくない。ちゃんと納得した道を選びたい。

そもそも自分は大学に行く必要があるのか?

決められないでうだうだしている時間は、

受験勉強ができたであろう時間として、後悔が頭をよぎった。

でも、いざ受験勉強に取り掛かろうとしても、

何をどうしていいのかが見えてこない。

それは、やはり具体的な目標が無いからだろうか。

と、また悩み、時間が過ぎていく。

 

気付いたら、蝉の鳴き声は止み、夜は涼しくなっていた。

 

きっかけは、彼の夢についてのプレゼンを聞いた時だった。

「僕は坊さんになりたい。」というヘンテコなタイトルだった。

これまでの経歴、今の生活、それらから考える未来。

初めてちゃんと話を聞いた気がした。

 

結局、「坊さん」ってのとどう繋がっているのかは、難しくてよくわからなかった。

 

でも、「これだ。」と直感した。

 

それからというもの、大学生の内に起業したり、就職活動をしてなかったりと、

色々自由な彼や、その彼の下に集まる大学生たちが、

「高校生の時にどんなことを考えていたのか」

「それがどう繋がって今があるのか」

「将来の夢は何なのか」

聞きまくった。

 

いつの間にか寺子屋は、「勉強を教えてもらう時間」から、

「将来を真剣に考える時間」になっていった。

 

対話を繰り返す中で、これまで気付きもしなかったことがいっぱいあった。

自分が生まれ育った地域を、自分がこんなに大切に想っていること。

地域にある「家族みたいなあったかい雰囲気」や「癒される豊かな自然」を残していきたいと思うこと。

仕事に“就く”ことしか考えていなかったが、仕事を“作る”こともできるんだということ。

そして、そんな自由な生き方がしてみたい、ということ。

 

どうやら塾長である彼は、今ある地域の豊かさを残そうという想いで、寺子屋を始めたらしかった。

 

それから数か月後。家に届いた封筒を開け、中身を確認した後すぐに、彼に電話した。

 

「無事、合格しました。」

 

最後の寺子屋は、受験期の振り返りだった。

「将来は、瀬戸さんみたいに生きたいです。」

 

彼は下を向いて、照れ笑いをしていた。