変わってもいい。
変わったっていいじゃないか。
一途じゃなくてもいい。
続けなくたっていい。
辞めたって逃げたっていい。
掛け持ちしてもいい。
戦わなくていい。
何かにどっぷりはまらなかったからこそ、今の僕がある。
競技人口1人の競技で、優勝しようよ。
金メダルもらお。
笑おう。
昔から、
「みんながそっちいくなら、俺はあっちかな。」とか
「認められたいんじゃない、認めさせたいねん。」とか
(認められるとわかっていることをあえてするのではなく、現時点で認められていないもので主張していきたい)
あまのじゃくなのか、ひねくれ者なのか。
「素直に育てよ!」「可愛くないな!」って、自分に言いたくなることは、ままある。
今では、その自分に対するツッコミは、半笑いでしかせんけど。
「でたでたwしゃーないなw」という感じ。
昨日、後輩とキャリアの話をしていて、
「世の中に対して、俺たちにしか主張できないことがあるんじゃないか」
「俺たちにしか救えない悔しさがあるんじゃないか」と明確に思えた。
それは、進路選択において、「一貫性なんてなくてええやん。」ってこと。
「その時心躍るものに素直になろ。」ってこと。
「で、嫌になったらやめたらええやん。」ってこと。
スポーツも、趣味も、地域も…?
色んなもんをとっかえひっかえ、やってきた。
そんな僕が自分の人生を振り返り、人にそれを語る時。
「昔からずっと、変わってないんですね!」
「若い頃から一貫してて、ほんとすごいなって思いました!」
そんな感想を伝えられたことがある。
僕は、「一貫性を認められた嬉しさとびっくり」半分、
「いやいや、ほんまの俺はもっと分かりにくいでっせ。」と感じた。
でも、プレゼンって、一つのストーリーを作るって、そんなもんじゃないですか。
ってことは、世の中に
「これだけのために生きてきて、これからもずっとこれだけのために生きます!!」
って心の底から思ってる人、どんくらいいるんやろ?
確かにそんな人生やったら、誰からもわかりやすいし、魅力的やとは思う。
でも、生き方の選択肢が膨大に広がっている現代に、そんな生き方できる人、
多くないんじゃないかなっておもう。
それでも、「石の上にも三年」とかって大人は言うじゃないですか。
現代の生き方に、ほんまに合ってるんかな…?
したたかに。
社会を捉え、自分を客観視する頭脳は絶対に必要。
社会を生き抜くための戦略を常に複数考えることも必要。
だけど、こんだけゲームボードが激しく入れ替わる中で、
「一つのものを続ける」「一つのことに集中する」って、
そんなに大切なんですかね…?