大学は、東洋医学や健康を勉強できそうな場所を選んだ。
ゼミの中に「東洋医学」というテーマがある大学は、多分珍しかったと思う。
それは、「心と身体を一体的に診る」という考え方が好きだったり、整体やマッサージって、どっちかもいうと東洋医学っぽかったし、「なんかアウトローっぽいし、ええな。」くらいの感覚だったと思う。
正直東洋医学のことは深く知らなかった。西洋医学のこともよくは知らなかったが、「病院行っても苦しんでるやん。」という人が僕の周りに多かったので、そちらではないなと感じていた。
学部1、2回生の時は、とりあえずひたすら自分の興味に従って授業を取りまくった。
健康や東洋医学に関係無さそうなものも沢山学んで、あらゆる角度から「捉えにくい"健康"の全体像」を捉えようとしてた。
結論。「健康の本質や全体像は、心や身体のことだけを勉強してても見えてこない。」「僕は、なぜ健康を崩すのか、その社会的背景や、根本的な解決方法を知りたい。」
そして。「人とのコミュニケーションや、ライフスタイルの変遷と健康の関係、関わりの中で生まれるコミュニティについて知りたい。」
こう思うようになった。
「もっと学びたい。」
3回生に上がろうとするタイミングで、入学前から慕っていた東洋医学のゼミに入る気満々でいた。むしろそのゼミに入る為に、その大学に行ったようなものだから。
何の神様のいたずらだったんだろう。
ゼミを選ぶ期限が迫る中、その先生はこの世を去ってしまった。
進路変更を余儀なくされた。
不思議と迷い無く、「この先生だな。」と思えた。
所属するコースも変えた。もはや「健康」というテーマを通してストレートに学べるだろうものには、あまり興味がなかったから。
僕のお世話になった先生は、「コミュニティ」を一つのテーマに持つ人だった。
厳しく自由だった。自立を求める人だった。本質を自ら突き詰めることを、学生に強く求めた。僕は、望むところだと思いつつ、「コミュニティについて学べる場所」を求めていた。
農村って、どんなところかなぁ。コミュニティとかライフスタイルとか。健康的な暮らしをしてるイメージあるけど、どうなんかな。
そう興味を持ち始めたのは、この頃だった。
つづく。