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我々は、信じるに足るフィクションを求めて生きている。

かつて人類は、複数の種類に渡ってこの地球上に生息していた。しかしある時、他の人類を、また他の生物種を圧して勢力を拡大したのが、我々ホモ・サピエンスである。

ホモ・サピエンスは、決して腕力が他に比べて優れていたわけではなかった。視力や嗅覚が優れていたわけでもなかった。

ホモ・サピエンスの最大の特徴は、想像力だ。つまり、眼前の事実ではなく、フィクションを想像し、信じることができた。そして、共通のフィクションを信じることで、他の種よりも、より大きなコミュニティを形成することができた。そしてそのコミュニティの力によって、あらゆる困難を生き抜くことができたのが、我々なのだ。

「共通のフィクション」とは何か。

それは時に、昔話であり、物語であり、神話である。

それは時に、人種であり、宗教であり、国家である。

それは時に、お金であり、戦争であり、幸福である。

つまり、我々ホモ・サピエンスは、種の運命として、コミュニティを形成するためには「共通に信じられるフィクション」が必要となる。

その一方で、そのフィクションを伝えるメディアも重要だ。どうやってフィクションを表現し、伝え、残すかは、非常に重要なことだ。

 

紙とペンさえ無かった時代、否、文字さえ無かった時代にも、ホモ・サピエンスは生きてきた。

 

今の世の中を、情報社会と言われることがある。

技術の発展により、誰でもいとも簡単に情報を発し、また受け取ることができるようになった。文字だけでなく、短文も長文も、写真も動画も音声も…それが、メディアである。メディアの直訳は、「媒介」。何かと何かを繋いでくれるものだ。さて、我々は何を媒介させよう?

 

ホモ・サピエンスは、コミュニティをつくることで、これまでの時代を生き抜いてきた。

そんなホモ・サピエンスにとって必要不可欠な「フィクションを共有する」という作業は、技術の発展によりとんでもなく簡単になった。簡単になりすぎた。

つまり、情報は氾濫し、何が重要で何が重要でないのか、何が自分に必要で何が必要でないのか。それらを判断することで一日が終わってしまう。

 

更に、時代の転換点とも言うべき混乱を迎えている。未知のウイルス、自然災害、戦争。

 

そんな困難な時代を我々は生きている。

 

私が思うに。

メディアは十分に発展した。比して未熟なのは、フィクションの中身である。現代になお、信じるに足るフィクションが無い。だのに情報は日々目に入ってくる。そんな状況にホモ・サピエンスは辟易しているのである。

 

「私が心から信じられるフィクションを下さい」

表現方法は違えど、人類は日々そう願っている。

 

フィクションを生み出すのは誰なのか?

これまでの最も"象徴的"な役職が「宗教家」と思われる。

宗教家の役割は、決して既存の神話を、物語を、昔話を共有するメディエイターに非ず。

現代の宗教家に求められるのは、次の時代を創る我々人類が、共通して心から信じられるフィクションを生み出し、コミュニティを形成するクリエイターに他ならないのだ。