ファミリーヘルスの高め方

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日本の現状をまとめてみました。

安いニッポン「価格」が示す停滞

という本がありますね。

www.amazon.co.jp

 

30年間停滞を続けた日本は、物価も特に上昇することがなかった。自国内にとどまっていたら特に不便を感じないが、世界や、特に発展を遂げたアジア諸国から見て日本は「安い国」になった、と。一時期「爆買い」がニュースで取り上げられていたが、それはおもてなしが良いからでも、日本ブランドがあるからでもなく、その理由は単に中国やその他の国から見て「品質の割に激安でめっちゃお得やん!」だった、という内容。

 

ここ数カ月、あるいは半年くらい「日本って、何なんだ?」ということを探求してきたのですが、この本を知り、そこから考察することで、

おぼろげながら、その姿が見えてきたような気がしてきました。

 

僕が生まれたのは1992年です。

ちょうどその頃に「バブルが崩壊した」と言われています。

その意味で、僕は経済成長をしていた当時の日本を知りません。

逆に言えば、生まれてきた時には既に日本は先進国で、経済大国で、

そして物心つく頃には既に、停滞する国でした。

 

「日本はどこに向かうのか?」

日本の政治家はなぜなかなかビジョンを描けないのだろうか、希望を持てるビジョンを描いてほしい。そんな風に大学生くらいの時から思っていたのですが、まぁそんなビジョンを描けなかったのは、当たり前といえば当たり前。

日本の経済的な停滞や、あるいは隆盛からの凋落を直視できていなかったからなのではないかなぁ、と今では思います。

 

凋落しているからこそ、今日本は悲観的なムードが漂っているように感じますが、

日本の長い歴史を振り返ってみると、日本はずっと「持たざる国」として世界と渡り歩き、生き延びてきたのではないかな、と思います。

 

日本を代表する文化としてよく挙げられるのは「侘び寂び文化」ではないでしょうか。

この文化的な完成を見たのは、千利休の時代でしょうか。

 

あらゆる要素を削いで削いで削ぎ落した先に、本当の美しさがある。

そんな、現代で言うと「ミニマリスト」的な美学が、文化に根付いているように思います。

例えば、茶道のみならず、日本画、落語、能、日本仏教における禅、武道など。

僕が深く学んできた鍼灸についても、鍼ともぐさというシンプルすぎる道具のみを使ってあらゆる症状を良くしようという医療です。

どれもミニマムであり、機能美。決して華美に向かわない潔さ。「何かを得るのではなく、修身することで、既にある力や豊かさに気付く」そんな感じが共通点かな、と。

 

そこで、僕はこの「侘び寂び文化」がなぜ日本において生まれたのかを考えました。

恐らくそれは「資源を持たざる国」というベース=環境が生み出した文化なのではないかなぁ、と考え至りました。

 

語弊を恐れずに言えば「貧乏だからこその美学」です。

 

「ミニマムを突き詰めるのが是」という方向性は、西洋文化とは一線を画します。

逆に、西洋のような豪華絢爛な文化は、資源が足りず、実現しようもなかったし、発想したとしても再現性が無かった。

侘び寂びは、そんな中で編み出された文化なんじゃないかなぁ、と。

 

明治維新後、あるいは戦後により一層、日本は、当時のグローバルスタンダードとしての西洋文化に追いつこうとしたし、西洋人になりきろうと努力した。

その結果、確かに経済成長を遂げましたし、先進国と呼ばれるようになりました。「ジャパンアズナンバーワン」と自称していた時代さえあった。

しかし、それで日本人は幸せになったんでしょうか?

 

当たり前のことですが、日本人は、アジア人です。

現代史の中で言うと、アジアの中でも早めに経済成長を遂げ、西洋文化に染まり先進国の仲間入りを果たした日本は、「我々はアジア人である」ということに対して誇りを持ちにくい構造に陥りました。

もしかすると、「アジア人であることは恥だ」とさえ思われてきたのかもしれません。

しかし、どこまで西洋文化に傾倒しても、西洋人には決してなれません。そんな憧れと絶望の中で、「アジアの中ではナンバーワンの国だ」という歪んだアイデンティティが、経済成長と共に形成されたんじゃないかなと、推察しています。

 

戦争教育において、被害者としての日本の姿はよく描かれますが、アジア諸国に対する加害者としての日本の姿は、あまり描かれません。

未だに、そこに向き合いきれていないことも、「我々はアジア人である」という当たり前の認識や、そこに対する誇りを持ちきれないことに絡んでいそうだなと思っています。

 

さて、話を戻しましょう。

経済成長を遂げた日本の日本人は、果たして幸せになったのでしょうか?

グローバルスタンダードとしての西洋文化に傾倒し、しかし西洋人にはなれないという矛盾は、決して我々を幸せにはしてくれませんでした。

世界幸福度調査World Happiness Report2020概要と関連質問紙提供について - RIOMH 産業精神保健研究機構(Research Institute of Occupational Mental Health)

「あなたは幸せですか」と問われても、自信をもって「幸せです!」と言い切れない。

「日本に誇りを持っていますか」と問われても、「日本、最高です!」と言い切れない。

30年間の経済的な停滞は、「経済成長アジア1の国」というアイデンティティを完全に失わせ、日本って何なんだろう?どうしたら幸せに暮らせるんだろう?というアイデンティティの問題を突き付けてきます。

 

だから僕は今こそ「原点に返ろうよ」と言いたいわけです。

その原点とは、何度も言っている「持たざる国としての生き方=侘び寂び文化」です。


侘び寂びとは、つまり工夫であり、少ない資源の中でいかに豊かさを追求するか、ということ。
その工夫や協力・協働にこそ、幸せを感じてきた国なのではないかなぁと思うわけです。

 

僕は「コーディネーター」という仕事をしており、かつ「各種団体間の連携・Win-Winの関係性をデザインできるコーディネーター人材がもっと必要だ!」と思いますが、

それは今まさに経済成長を遂げている国では、決して出てこない発想な気がしています。

そんなめんどくさいことしなくたって、人やエネルギー、金は溢れ、発展していくでしょうからね。笑

しかし、限りある資源の中でコーディネーターがいかに効率よく活かし、効果を最大化し、コスパ良く配分するか。

そこに工夫と知恵と、協働やコミュニティ、一体感が生まれていくわけですね。

それはそれで悪くない仕事だと、僕は感じています。

 

そして、環境問題・気候変動・資源枯渇などという地球規模の問題が認識されるようになり、グローバルスタンダードの方も変わってきつつありますよね。

「限りある資源を、いかに配分するのか。」というのは、今や世界的な課題です。

 

その課題の解決策は、長い年月、持たざる国として生き延びてきた日本の文化にこそヒントがあるのではないかなぁ、と感じています。

 

日本という国は、世界の中で最古の歴史を持った国です。
その原因として「日本は島国だから外国から攻められにくかった」という論調はよく耳にしますが、僕の推理では、その理由は半分で、もう半分別の理由があります。

それは単純に「資源が少ないから」じゃないですかね。
資源は少ないし、山がちでややこしい風土、災害も多い。

しかしだからこそ、他国から興味(侵略の動機)を持たれにくかったんじゃないでしょうか。
そんな、ややこしくて資源が少なく、他国から見たら「どう見ても豊かに暮らせない国」だからこそ、生き延びていた。

そんな環境の中でも侘び寂びという美学で心豊かに暮らすことこそが、「持たざる国」日本の、世界の中での生存戦略なんじゃないかなぁ、と考えています。

 

そろそろまとめます。

僕は現代の日本を正確に捉え、未来を描くために、経済成長し、資源的に豊かに暮らしてきたことや、そのことに対する誇り(=驕り・亡霊?)、そしてそこから地位を下げてきていることを直視せずに蓋をする感じは、さっさと捨てるべきじゃないかなと考えています。

「凋落している…」という悲観は、これまで何も生まなかったよね。多分。

そして、

・日本の現在置かれている環境に適応するため

・日本人のアイデンティティ確立するため

・次のグローバルスタンダードを牽引するため

この3つの理由から、「持たざる国の美意識としての侘び寂び文化」をもう一度日本の中心的な価値観に据えて生きていくことを、おすすめします。

 

ここまできて…僕は一体、だれ目線の話をしてきたのだろう…笑 と、少し笑えて来ましたが、

まぁ、ここまでの話は、まったく自分のためだけ、これから日本に生きていくであろう自分が、日本で生き続ける理由を確立するためだけにまとめてきた内容でした。

何か・誰かの参考になれば嬉しいです。