コーヒー豆と壁一面の本棚
今年のクリスマスは、とんでもなく贅沢なものだった。
人生で一番贅沢だったと言ってもいいかもしれない。
なんだろう。「クリスマスらしい事」をたーくさんしたって訳でもないような。
だけど、すごく「自分らしいクリスマス」を、人生で初めて過ごせたように思う。
イブは、妻と宅配ピザと、チキン、コーラを、ゆっくりいただいた。
例え宅配でも、例えスーパーのお惣菜でも。
ちゃんと全て、お皿に盛りつけ直すっていうのが、心の贅沢のコツである。
そのひと手間を自分自身にかけられるかどうか。
それって結構、豊かに過ごせるかどうか決まると思うんだよなぁ。
今日は、寺子屋の方で関わる子どもたちみーんなと、クリスマス会を企画してやった!
またピザ。笑
二日連続ピザ。笑
でも、こちらはみんなで手作り!
やっぱり、企画するのは楽しいし、思い思いに楽しむ子どもたちの姿を見ながら、
なんだか僕も張っていた気が緩んで、「年末だなぁ」という気がしてくる。
ゲームやったり、ボドゲやったり。
「狩歌(かるた)」というボドゲが、異常に楽しかったから、買おうかな。笑
ところで僕が今年妻に買ってもらったプレゼントは
コーヒー豆と壁一面の本棚である。なんかオシャレやない?笑
特に「壁一面の本棚」って結構みんなの憧れな気がするんだけど
漏れることなく僕もその一人であって、
仕事部屋や実家に散乱していた本を整理したく、買ってもらった。
組み立てるのは大変だったけど、完全に満足している。
床から天井まで、本棚。
自分の”好き”やこれまでの”知識”が全て詰まっていて、うん、満足。
最近よく「生きる環境を整えることの大切さ」について考える。
どういう環境で生きるか。
これは「意識と無意識」に分けたところの「無意識」に強烈に働きかけてくる。
無意識は、ある意味、恐ろしい。
http://daiki526.hatenablog.jp/entry/2019/09/28/091439
強烈に、思考、行動、習慣、そして成果(健康、稼ぎ、幸福度など)に影響を与えて来るからだ。
しかもそれは、意識のようにコントロールすることが難しい。
というか、もはや別の生き物であると思った方がいい。
あまりにもコントロールが難しいので、「いやいや、あくまでも自分の一部だろ」と傲慢な態度で無意識と関わろうもんなら、あらゆる手段でしっぺ返しを食らう事になる。
(普段からしっぺ返し食らいすぎて、もはやそれがしっぺ返しだと気付けていない人も多いけど。)
ちょっと話がそれたけど、僕の馬(無意識)との良好な関係を築くためには
「壁一面の本棚」がどうしても必要だったみたい。
だから組み立てて、本を実家からも持ってきて、全て入れて、
まだ余裕があるところをみて「はぁー、満足。」と心から幸せになれるのだ。
「物が散乱している状態」「色んな汚れやごみがある状態」が家にあったら、
それを毎日情報として目から脳に入れることになる。
しかも、目に入る回数としたら、1日で数十回。あっという間に数百回、数千回。
すると、どんどん思考が乱れ、モヤモヤが溜まり、イライラしてきて、ついには全てがどうでも良くなってくる。
それは、無意識からのサインなのだ。
というよりも、「人(意識)と馬(無意識)がうまくコミュニケーション取れてなくて、全然気持ちよく走れてないよ」ってことの、現れなのだ。
それが「片付いている状態」「掃除されてきれいな状態」だと
その状態を目にする度にやるべきことがすぐにわかるので、仕事も片付くし、思考がクリアになるので、決断力も上がるし、時間もできるし、心が落ち着いて、”静寂な幸せ”が訪れる。
何が言いたいかって、「片付けることや掃除が大事」って言いたいんじゃなくて、
「しまう場所を決める/しまう場所が無ければ捨てるか、その場所をつくる」ことが大事だよなー、って気付きました、というお話。
やっぱり、壁一面の本棚、サイコーです。
みんなが憧れるだけのことはある。