まるで、嘘みたいだった。
2時46分。
僕は春休みを友だちと過ごしていた。
お気に入りのカードゲームをして、
なんとなくテレビを眺めていた。
3月11日。
「おい、これはヤバくないか。」
膨大な数の命が、津波に流されていく。
映像の迫力は、どんな映画をも遥かに越えていた。
2011年。
僕は、高校生でもない。
大学生にもなっていない。
そんな狭間を生きる、
紛れもない、18才だった。
「どうなるかわからんけど、ちょっと行ってくるわ。」
その日は何故か、自衛官の親父は家にいたような気がする。
ほとんど手ぶらの状態で家を出たっきり、
彼は2ヶ月ほど、ただの一度も帰ってこなかった。
東北。
僕はこの地に、何か元から特別な想いがあったわけではなかった。
そんな僕でも、相当に心を揺さぶられた。
事態を呑み込めないまま、連日報道は続く。
僕のように傍目から見る人の中でも、様々な感情があったに違いない。
決して一言で語り尽くせるはずもないのだけれど。
「僕は生かされたんだ。」
理由はわからない。けど、そんな風に考えるようになった。
不思議でたまらなかった。
この平穏な日常を送れていることが。
「一体何故僕は生かされたんだろう?」
あまりに事態が大きかったからだろうか。
"たまたま不運な人たちが被害を受けた"とは到底思えなかった。
"たまたま幸運な僕たちが被害を受けなかっただけで、明日は我が身かもしれない。"
「不運の死を遂げた人たちの分まで」
かたや僕は、何のハンデもなく人生を全うできている。
倒壊もせず、流されもせず、帰る家がある。
放射線の汚染を気にすることなくご飯をたべる。
このことがどれだけ恵まれたことか。
「命を燃やして生きなければならない。」
これは、使命だ。
何のハンデもなく生かされた、僕の使命なんだ。
3.11
直接現地に対して、僕が出来たことは少ない。
しかしこの震災を、もっと広く、深く捉えた時、今僕がやるべき事がぼんやりと見えてくる。
「この時代に鬱滞する閉塞感を打ち破らなければならない。」と。
自分自身のため。
家族のため。
友人や知り合いのため。
関わりある地域のため。
そして、亡くなってしまった命のために。
自分より下の世代が「生まれて来てよかった。」そう思える社会を創る。
毎年、僕は振り返る。
命を燃やして生きているだろうか?
またあのような事態が起きた時に大切な人の命を守るだけの力をつけられているか?
または、そんなリスクの少ない人生を選択できているか?
原発事故によって明るみになった社会構造の無理を変えるための歩みを、確かに進められているのか?
僕たちは、時代という大きな葛藤の中にいる。
その中にあって、どう荒波を乗りこなすか?
そして、より多くの命と共に在ることができるか?
僕の人生は、僕だけのものじゃない。