塾長鍼灸師のあたまの中。

ここだけの話。

「体力の回復」 の概念を、ゴソッと書き換える。

前回のブログでは、学び方の工夫をまとめようと試みたが、
それは、1日が24時間だけでは、専門学校の定期テストの勉強時間の確保ができなかったからで、
学習効率を上げざるを得ない状況に追い込まれていたからである。
 
さて、今回のブログでは、テストに向かう際の、血の滲む工夫のもう一つ。
 
専門学校のテスト期間中、勉強時間と集中できるだけの体力を確保するために、
ある一つの仮説を試した。それは…
 
「人は運転中に、仮眠を取ったのと同程度の体力回復をすることができる。」
 ※運転中に仮眠を取るわけじゃない
 
というものだ。
 
「体力の回復」 の概念を、ゴソッと書き換えよう。
 
今回のテスト勉強は、仕事との両立の中で、完全にキャパを越えていた。
だから、勉強時間を確保するために睡眠時間を削るんだけど、
「睡眠時間=回復時間」だと削るのは辛くて持続しないから、
回復時間を他の時間と兼ねつつ睡眠時間を削ることで、
回復時間は削らずに、勉強時間を増やすことができるというマジック。
 
現在の生活で、運転時間は1日3時間超程度あるが、その時間は同乗者との会話や、ハンズフリー電話での打ち合わせができるくらいで、移動以上の意味を付与することが難しかった。
 
しかし、もし上記の仮説を立証することができれば、世界がひっくり返るくらい、
僕の生活は快適になる。
 
 
ここから、僕がテスト期間中に蓄積したノウハウを公開する。
 
 
僕が試せたのは、姿勢の側面と、意識の側面からの工夫だった。
 
まず一つ目は「徹底的に身体の感覚を鋭敏に研ぎ澄まし、身体が求めるままに運転時の姿勢を工夫すること」だ。
僕も含め、人は案外、自分の身体の声を聴くことができていない。
運転中、身体のあらゆる箇所(腰・大腿・下腿・下腹部・内臓・脊柱・横隔膜・心拍・上腕・前腕・首・頭皮・脊柱と頭蓋骨の接合部・目・下顎・脳)に意識を向けて、それらがどのような感覚を持っているのか感じ取る。
力が入ったり、無理をしていそうなら、そこに意識を保ったまま、感覚の変化を追う。
必要であれば、座る深さ・背もたれの角度・座席シートの高さ・ヘッドレストの高さ・ハンドルの位置・ミラーの角度を調整していく。
車の設備の調整は、その日の体調によってベストが変わるので、運転の度にベストな姿勢を探り続ける必要がある。
 
これは、どちらかと言うと「運転による体力の消耗を抑える工夫」と言える。
 
そしてもう一つ。「意識的にボーッとする」ということだ。
この言葉は、ある種の矛盾を抱えている。より厳密にいうとすれば、
「意図的に、“ボーッと状態”に入る」と言う感じか。
 
“ボーッと状態”とは:脱力。口が開く。周辺視野が活性化して景色の流れと身体の感覚がリンクする。体制感覚・内蔵感覚が鋭敏である。unplug。
 
先ほどの「身体に意識を向ける」とかなり密接に関連しているが、
歩きながら、運転しながら“ボーッと状態”に入ることは、できる。
 
こちらは、「運転中に身体を回復させる工夫」だと感じている。
 
ボーッと状態に入ると、身体が回復モードに入る感覚があった。
すなわち、体力が回復してきているような感覚があったのだ。
睡眠でしか回復しなかった体力を、覚醒時にも実現する。
 
以上二つの工夫を、全て運転中に行う。
 
お気づきだろうが、この工夫には危険が伴う。
運転中に運転以外のことを意識を向け、あるいは「ボーッとする」わけだ。
 
優先順位として、体力の回復よりも、テストの点数よりも、何よりもまず、
事故や怪我は、まず第一に避けなければならない。絶対にここを忘れてはならない。
ここを外した議論は、空理空論でしかない。
 
すなわち、「危険察知能力」まで手放してしまってはいけない、ということだ。
完全な覚醒と完全な睡眠の間の、意識レベルのグラデーションの中で、
「体力は回復しながらも、絶対に事故リスクを高めない」落とし所を探らなければならない。
 
仮説検証中、この点に関しては唯一結論が出なかった。
 
ただ、2つの工夫の方向性に関しては、間違っていないと確信している。
 
なぜなら、この爆裂生活の中で、専門学校の定期テスト平均90点獲得することができたからだ。
 
余談であるが、この経験を経て、人間としてまたワンランク上に上がった気がしている。
専門学校に通うこの時間を換金すれば、半年で最低60万くらいの価値があったと考えている。