塾長鍼灸師のあたまの中。

ここだけの話。

どうしようもなく八方美人。

 僕がなぜ鍼灸師を目指すのか。

 

それは、人生の変革の瞬間に関わりたいから。

 

昔から僕は、色んな人に深く共感を覚えてしまう人であって、

「それもわかる」「あなたもわかる」みたいな、八方美人である。

 

そんな僕は、どうしようもない不条理に晒されている友だちを見ていて、「どうにかしたい」と思うけれど、中学生の僕、高校生の僕、大学生の僕に何もできるわけもなく、ただ立ち尽くすしかない自分にとてつもない葛藤を持っていたことを思い出す。

 

心と身体はつながっていて、そういった不条理に晒されている友だちは、概して身体に支障をきたす。

不条理を変えるほどの力は無いのかもしれないけれど、そんな状況の中でもポジティブに生きることはできよう。幸せに生きることだってできるはずだ。

 

心の在り方は、身体に表れて、逆に身体から心を変えることだってできる。

僕は、身体から、対話から、心の在り方を変え、より力を抜いて生きていける人を増やしたい。

それは余裕であって、そこからまた自分の意思を発揮して、頑張って生きていくことだってできる。力を抜けるということは、可能性を増やすということに他ならない。

 

お灸は、日々のケアに向いていて、身体が不調になる前から来ることができる場にしたい。

そして、そこにネットワークを持った僕がいることによって、医療的なゲートオープナーとして機能することができる。

でも、それは医療に限らないでいたい。

「なんかわからんねやけど、モヤモヤする。」という相談を、そこで受けたい。固まってる人は、専門機関に任せればいい。

そういう種の悩みは、往々にして、その人の価値観に深く根差していたりする。

それを照らし返してあげたり、深堀りしてあげたり、身体を元気にしてあげることで、より深く自分を知り、世界を知るような場にしたい。それがその人の幸せに繋がると思うし、そうなったら何よりの僕の幸せだから。

 

寺子屋も、鍼灸も、同じだなぁ。