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塾長鍼灸師のあたまの中。

ここだけの話。

寺子屋で僕は、”先生”をしていない。

寺子屋でバイト講師くんが、「答えへの至り方」を塾生に教えていた。
 
そこに強烈な違和感を抱く僕には、どんな哲学があるんだ…??
 
いつも僕は、寺子屋でこんなことをしている。
一人が持った疑問を、わざと大きな声で「そこがわからんのか」と言ってみる。
「○○くんは、こうやって解いてるんや、へぇー。なるほど。」
「ここまではどうやって考えたん?」
「すごい!答えわかったんや!どうやって解いたん?教えて!」
「○○ちゃんがわからへんって言ってるんやけど、教えられる人いる?」
 
こんなことをしゃべり続けてる。
特定の誰かに語り掛けるわけでなく、全体に向けて言い続けてる。
拾うやつは拾う。それをヒントにして、また頭が回転し始める。

 

要するに僕は、「答えへの着きかたを教える先生」ではなくて
ファシリテーター」なんだ。それを目指していたんだ。

 

その場にいる塾生から講師から大人から、あらゆる人から話を引き出す。
そして、それを他の塾生への、人生のヒントに磨いて、手渡す。
 
それを繰り返しているだけ。僕は答えを持っている先生じゃない。
 
その意味で、僕は1対1の個別指導や家庭教師よりも、
3~6人くらいの寺子屋が好きなんだなぁ。