塾長鍼灸師のあたまの中。

ここだけの話。

僕が協力隊としてやって来たこと。

思えば、水車コンテストとローカルベンチャーは同じ構造である。

 

①まずは自分が挑戦を起こして人を巻き込みながら土台をつくり
②その道を辿る人が出てくる

 

水車は、②にいる。ローカルベンチャーについては、恐らく①だろう。

 

僕が去ってから、僕の3年の真価が問われるとすれば

「地域に挑戦者がどれだけ現れるか」

によって測られるべきであろう。

 

もしも僕がきっかけを作った「チャレンジの連鎖」という地域の新陳代謝を"地域活性化"と呼び、その状態を続けるのであれば、

 

まず僕自身がしっかりとローカルベンチャーによって生計を立て、夢を実現し、豊かに暮らしていることを発信しなければならない。

 

そして大芋は小学校に「チャレンジの後方支援機能」を充実させ、「大芋は若者のチャレンジを応援する地域である」という地位を確立しなければならない。

 

そう考えている。

3.11

僕はこの日、「あ。僕は生かされたんだ。」って直感した。

 

とてつもない数の人生が終わり、
とてつもない数の人生の進路が激変した。

 

かたや僕は、何のハンデもなく人生を全うできている。

 

このことが、なんと豊かなことであろうか。

 

「社会全体のバランスを取る」みたいな感覚なんだろうか?

 

命を燃やして、これまでの何倍も濃く生きなければならない。

 

そう直感した。

 

僕は毎年、この日に人生を振り返る。
ちゃんと生きてるか?

 

またあのようなことが起きた時に大切な人の命を守るだけの力をつけられているか?
または、あのようなリスクの少ない選択をできているか?

 

原発事故により明るみになった社会の構造の無理を変えるための歩みを、確かに進められているのか?

 

僕はあと20日で、ただの一人の人間に戻る。

 

僕は"時代"という、大きな矛盾を抱えて生きている。

 

その渦の中でどうやってサーフィンするか?
サバイブするか?
そして、より多くの命と共に在ることができるか?

疾病構造の変化と、鍼灸。

日本は、豊かな国だ。

 

生活環境(衛生面・栄養面など)が今ほどに整備されていなかったころ、
病気と言えば、結核を代表に感染症などの「急性疾患」が問題だった。


急性疾患は、激しい症状を伴う。発熱や嘔吐、その他苦しみや痛みのことを症状という。
下手をすればその症状で命を落としてしまうこともある。

だからこそ、早くその症状を抑え、症状が出ている原因を叩く手術や薬が必要だった。

 

今でも、急性疾患は一定問題になる。

しかし、現在、日本は豊かな国だ。
生活環境が整備された。

 

その中で、社会的に問題視されているのは、急性疾患に変わり、「慢性疾患」へと変わっていった。

 

ちょっと前、「生活習慣病」と言われた病気たち。
もしくは、病気になる手前「不定愁訴」や「心の病気」。
原因不明の症状。
腰痛、肩こり、アトピー、花粉症、肥満・・・・・・・・・・・

 

これらはどちらかと言えば、「慢性疾患」に分類されるものだと思う。

 

鍼灸は、病気を素早く叩くことに強みのある医療じゃない。
だけど、「体質を分析し、改善する。」「免疫力を上げる」「痛みを取る」
この辺りに強みがあって、病気と診断されなくても施術することができる。

 

慢性疾患の時代に、鍼灸師が活躍しなくて、どうやって人は幸せに生きようか?