塾長鍼灸師のあたまの中。

ここだけの話。

症状は病気ではない。

健康じゃない状態になった結果、症状が出ることがある。
症状とはつまり、発熱や痛み、疲れ、下痢などである。
 
じゃあ「症状を抑える」ということには、どういう意味があるんだろう…?
 
僕は「症状を抑える」ということに対して、根本的な視点の転換が必要であると考えている。
 
病院での処方や治療は「症状を抑える」ことが多い。これは確かに大切なことだ。
症状が出ると、確かに苦しいし、嫌だ。症状がない状態で病気が治ってくれるのがベストだ。
だけど、苦しい、痛い症状というのは、身体が体調不良に対応した結果として出てきていることが多い。または、体調不良のサインであったりもする。「健康じゃない状態になってるから、なんとかしてくれ」と、身体が言ってる。
つまり、症状を抑えることによって、病気の治りが遅くなる、ということは、実はよくある。または、身体のサインを抑えることになり、健康じゃない状態を加速させる方向に生活してしまうこともある。
 
なぜ症状が出ているのか?を考える必要がある。
 
東洋医学の概念の中に、「本と標」というものがある。
本とは、本質・根本という意味がある。
標とは、表面・表層という意味がある。
 
鍼灸の治側(治療をする上で守るべき原則)の中に「治病求本」というものがある。
「病気の根本の原因になっているものを究明し、それを治すこと。」という意味である。
 

特に慢性疾患や軽い病気などであれば、症状はむしろ促進してもいい。

鍼灸治療で僕は、直後に汗がダラダラ出てきて、半ば倒れ込んでしまったことがある。でも、寝て起きたら、めちゃくちゃすっきりしてた。これこそが治病求本であり、症状はむしろ促進された結果、根本的に病気が治ってしまったのだろうと思う。

 

でも、ここで難しいのは「慢性疾患や軽い病気であるかどうか」を自己判断できるか、という点である。

 

僕は結論、「身体の感覚に従うしかない」と思っている。

不安であれば、病院へ行け。寒気がすれば体温を上げ、汗をかけば体温をさげろ。

しんどかったら横になれ。腹が減ったら食べ、食欲がなければ食べるな。

そして、鍼灸の先生に相談したくなったら、相談すればいい。

 

鍼灸技術の一番の強みは「治未病」「体質改善」「免疫力向上」。すなわち、予防医学であると僕は考えている。

今報われることと、後で報われること。

僕は、深い絶望の淵にいた。
 
これまで取り組んできたのは何だったのか?
 
お金を生み出さないと意味がないのでは?
これまでと同じことをしても、負担が増えるだけ、ということを、
なぜ誰も気付かないんだろう…?
 
僕が成長しすぎて、地域をとうに追い抜いてしまった。
そんな感覚。
 
発言する気も失せてしまった。
もはや、ここで僕一人が頑張ったところで、なんの意味もなさないだろう。
 
そうじゃない、もっと根本的な問題にぶち当たった感覚。
 
「次元が違いすぎる。」とよく言うお姉さんがいる。
その言葉の意味が、よーくよく身に染みて感じることができた。
 
会議で物事は決まらない。それまでにどれだけ仕込めるか。
残す1ヶ月半で、僕には何ができるだろうか。
 
いや、「年度末に向けて」という意識でいるとしんどいのかもしれない。
「地域全体」や「地域の組織」という単位で見ると、そうすぐに変わるものではない。
僕が期待しすぎると、しんどくなることは目に見えている。
 
この活動の中で「努力が報われた」と思える瞬間は数えきれないくらいにあった。
でも、全ての努力が報われたわけじゃない。
でも「報われなかった」わけじゃなくて、多分「まだ報われない」だけだろうと思う。
 
僕にできることを、着実に実行していくだけだな。

東洋医学を学ぶにあたって

西洋医学は「目で確認できること」に名前がついている。
 
対して、中国伝統医学から日本で発展した東洋医学の中には、気とか経絡とか陰陽とか、ちょっとよくわかんない用語がよく出てくる。僕はずっと、「何を指した概念なのか、さっぱりわかんねぇ」と思ってた。
 
専門学校に入学する前の課題として、「東洋医学のしくみ」という本を読みながら、それらの難解な用語の意味について、考えていたら、気づいたことがあった。
 
「身体を捉える感覚を整理するために便利な概念」に名前がついているだけだ、と。
それは必ずしも「目で確認できること」を指してはいない。
 
すなわち、身体や心の状態を統合的に捉えようとした時に、人体はかなり複雑にできているので、簡単に「こういう状態ですね。」と言い切るのは難しい。
その時、東洋医学の気や陰陽といった専門用語は、身体を捉える感覚を、サポートをしてくれる。「あ、この違和感が気ってやつか。」「この感じの時が、陰だから、陽を補わないといけないのか。」みたいな。
だけど、そもそも身体の状態を感じるセンサーを研ぎ澄ましていかなければ、用語もクソもない。
 
だから僕は、これから東洋医学を学ぶにあたって、「細かい用語を覚えていく」よりも「ざっくりとした概念を覚え、自分が人体を捉える感覚との擦り合わせを行っていく」ことをまず大切にしていきたい、と思う。